日本企業には経営者を育成する修羅場が足りない【産業再生機構】

自力再建できなくなった企業をよみがえらせてきた産業再生機構。企業再生が第一の目的だが、今後の日本企業を支える経営者を育成するという役割も果たしている。日本企業が抱える課題と必要とされる経営者について、同機構をCOO(業務執行最高責任者)として率いる冨山氏に聞いた。

産業再生機構

産業再生機構
冨山 和彦 代表取締役専務・COO

1984年司法試験合格、1985年東京大学法学部卒業後、1985年株式会社ボストンコンサルティンググループ入社。1986年株式会社コーポレイトディレクション設立に携わり、幅広い産業分野にわたり戦略立案やその実行支援に関わる。1992年スタンフォード大学経営学修士及び公共経営課程修了。2001年同社代表取締役社長就任。旧日本リースなど大規模な破綻企業の再生からアキヤマ印刷機械といった中堅メーカーの再生支援まで、事業再生にも多くの経験を有している。2003年4月に株式会社産業再生機構代表取締役専務兼業務執行最高責任者(COO)に就任。現在、産業と金融の一体再生を目指す産業再生機構において、事業再生のプロフェッショナル集団を束ねている。2006年4月郵政民営化委員会委員に就任。

産業再生機構の目標の一つには人材の育成が掲げられていますが、どのような人材養成を目的としているのでしょうか。

これには二つのレベルの話があります。一つは事業再生にかかわるプロフェッショナルな人材を育成するということです。産業再生機構がスタートした4年前の日本ではそうした人材基盤は、今よりはるかに脆弱でしたし、どういう能力が必要かということも曖昧模糊としていました。

企業再生というのは、それまでどちらかというと弁護士の専門分野になっていて、次第に広がってきてはいましたが、せいぜい弁護士プラス金融関係や会計士というところでした。企業再生では、出口となる事業を再生しなければなりません。人の病気を治すときに外科、内科、麻酔医であろうが、治すのは“ 医者” です。この医者という言葉を企業再生に置き換えるならば、企業を治すのは経営者なのです。

弁護士、会計士、投資銀行出身者も、再生する会社の事業の価値を上げていくという同じ目的で仕事を進めていますので、機構内では特にセクションで分けるようなことはしていません。企業再生に携わるということは、まさに経営だからです。

これまでの日本では、パーツ、パーツのプロはいましたが、全体をオーケストレーションするプロはいませんでした。企業再生は本来、オーケストレーションです。1人ではできません。事業再生や企業再生は特殊なことをやっているのかというと、それはまさに経営をやっているわけで、一番難しい経営における応用問題を解いているのです。

企業再生のプロセスを現場で経験することは、経営者をつくっていく上で非常に有効です。再建のプロになるかどうかは別として、再建のプロセスを通して、何年か本当に苦労するということは、機構で再生にかかわった人材が一般の経営者として大成していく上で、ものすごく有効な鍛錬の場だと思っています。

企業再生の現場では、皆の思いや利害がむき出しになって、ぶつかり合っています。その中で自分もひどい目に遭い、人を傷つけ、傷つけられ、そういう修羅場をくぐることで、例えばMBAやロー・スクールで教えているような知識が、厳しい実践の中で肉体化してくるのです。長期的に見れば、経営者として活躍するベースがここでできるわけですから、将来きっと、日本の経済にプラスになってきます。

現在の日本の経営シーンにはこのような修羅場が足りません。今のエリートは、修羅場を生きたことがない人たちがほとんどです。いざトップになると、ひ弱で、脆弱であることがよくあります。しかしそれは本人が愚かなわけではなく、学校教育から始まる日本全体のシステムで同質な人間としてつくり出されているのです。優れた経営者は、何か問題を起こして飛ばされたけれども運良く戻ってきたというような、ある種の偶然が重ならない限り、生まれてはきません。

優れた経営者が出てこない日本企業のシステムは、今後危機的な状況になっていくのでしょうか。

日本企業はこれから大変な局面に入ってくると思います。業界によっては修羅場を経験してきた人たちが、まだぎりぎりマネジメント層にいます。30~40年前には小さな会社だったけれども、今は立派な会社になっているというような企業です。苦労した時期に若かった人たちは厳しい環境でそれなりに鍛えられています。

ところが会社の状況が良くなれば、サラリーマン処世術がうまければそこそこ偉くはなれます。日本企業はこれからそうした人材が中心になり、会社は弱くなります。社会全体が豊かで平和ですから、団塊以後の世代は、その上の世代と比べると苦労を知らず軟弱です。学歴を含めた出世システムでは、頭がいいかどうかのテストはしますが、人間としての本当の力や賢いかどうかは試していません。ですから、私の言葉で言うと「頭の良いバカ」が大量に生み出されているわけです。

日本のエリート育成システムは、単に頭の良い人を大量生産するようになっています。このままでは日本の産業や社会は明らかに破綻してしまう。企業もそれには気づいているのですが、どうしたらよいのか分からない難しい状況になっています。

基本的にいい会社に負け戦はありませんから、人材の育成が非常に難しくなってきます。皆が強くて安定した組織や会社をつくろうと思い、そうした状況が生まれていくと、今度は組織や社会を強くしていく人材が育たなくなってしまい、結果的に強さや安定が崩れていってしまうのです。

これは人類の歴史そのものです。いかに上手に新陳代謝を図るのか。戦後60年、今の時代なりにどういう人材をつくっていくのか、考え実践していかなければなりません。明治維新に辺境の地から優れた人材が多数出てきたように、既存のメーンストリームからは人材は出てきません。政治の世界も、経営の世界もそうです。

日本経団連前会長の奥田碩トヨタ自動車相談役も現会長の御手洗冨士夫キヤノン会長も、いわゆるエリートではありませんし、かなりユニークな経歴の持ち主です。いまでも立派な経営者は、エリート街道のメーンストリームから出てきた人ではありません。企業内では革命で人材の交代を実現することはできません。ですから人事の役割は重要になります。さらに最終的にこれは経営者、株主、企業統治システムの仕事になるわけです。

コーポレートガバナンスで一番大事なことは人事です。マネジメントができる人材をどうピックアップしていくのか、その議論を抜きにした企業統治はありえません。適した人材選びと、失敗や問題を起こした時に首を切ることができる仕組みが一番求められます。

今、日本企業の経営者に欠けている部分はどんなところでしょうか。

一つの類型は最近流行の「会社は株主のものだ」的な資本市場や株主資本主義の論理にかぶれ、この論理で世の中が動くと勘違いしている人たち。これは間違っています。これは“ べき論” として間違っているのではなくて、そのように会社は動かないのです。

もう一つは組織の内向きの論理の中でゲマインシャフトの世界に浸りすぎていてその枠の中でしか行動しない人たちです。 いわゆる経済合理と人間的な情緒と、どちらかに身を任せすぎてしまっています。経営者の仕事とはこの二つをより近づけることです。合理的に冷徹に判断する能力が一方では求められるのですが、同時に企業経営は中にいる人のオーケストレーションができて利益が生まれてくるので、人間を動かす人間力が必要です。

従業員は社長として権限を持っているから動いてくれるわけではありません。また、お金で動いてくれるわけではありません。そこに経営の難しさがあります。理屈は分かりますが、この相反する二つを現実の局面でどう成り立たせるのか、これは実践しかありません。再生はこの二つがいつもぶつかり合います。われわれが直面している課題は99%がこの衝突です。経済的合理と人間的情緒、でもどちらに背を向けても再生は失敗します。

経済的合理に背を向けたら資金がなくなり、全員が仕事を失います。ところが経済的合理だけに体を向けて、人間的情緒に背を向けると、中の人間は疲れてしまいがんばって仕事をしなくなり、業績は上がらなくなります。このどちらからも逃げてはダメです。経営者は、胆力とかストレス耐性がないと務まりません。

産業再生機構で学んだ職員はどのような進路を選んでいるのでしょうか。

発足時に220~230人いたメンバーもいまでは60人程度になっています。皆、様々な分野に進んでいます。もう少し経営の勉強をしなければいけないと考える人は事業会社の経営企画にいく人もいますし、基礎知識が足りないと感じる人はビジネススクールにいく人も、ファイナンスの知識が足りないから投資銀行にいく人もいます。

己の未熟を悟って進路を決めていくということは、やはり良いことですね。経営にかかわる人材をどうつくっていくかということに関して、われわれ自身が民間人になった時に、それぞれの今後の生き方や志で世に問うことになると思います。

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