4月下旬に発生した新型インフルエンザは、事前に対策を講じていた企業や未対策の企業も含めて相当の混乱ぶりを呈したようだ。(文・溝上憲文編集委員)
弱毒性対策の備えのない企業が大半
連休前の突発的事態に企業の人事担当者は緊急の対応策を迫られたが、情報が少ないためにどうしていいのかわからず厚生労働省にも問い合わせが殺到した。 事前にBCP(事業継続計画)を策定していた企業でも本来、社長などの役員を中心に対策本部を立ち上げることになっていたのだが、実際の対策は強毒性の鳥インフルエンザ(H5N1型)対応がほとんど。
それをそのまま当てはめていいのか迷った企業も多かった。現実に「対策をどうするかを巡って議論をずっとしているうちに弱毒性とわかり、対応を変更した企業が多かった」(リスクマネジメント会社のコンサルタント)という。
これは何も企業だけではなく政府も同様だった。厚労省は08年7月に「事業者・職場における新型インフルエンザ対策ガイドライン(改定案)」を公表。さらに今年2月には正式にガイドラインを公表していたが、政府の対策は強毒性のインフルエンザを想定したものだった。
本来は強毒性のインフルエンザ対応策を策定するのであれば、同時に弱毒性対策を講じるというのがリスクマネジメントの鉄則だ。ところが「政府を含めて強毒性のみの対策しかしていない企業が大半」(前出コンサルタント)というのが実態だった。
対策「文書」はあっても機能せず
しかも、最悪のパターンは対策の中身以前の問題として、BCPを一部の人しか知らないために、まったく機能しなかったことだ。
中堅小売業では経営トップに指示されて人事部門をはじめ数人の担当者がBCPを作成していた。しかし、従業員に周知されないまま急遽、対策本部を立ち上げざるをえなかった。
「対策本部の席上、一部の役員からBCPって何だ、説明しろ、と言われて議論が始まった。結局、会社としてどういう行動をとるかについて3~4時間議論しても結論が出なかった」(同社人事部長) 法律や政府の行政指導に基づき作成した文書や規程は存在しても、従業員に周知されていないために実際は絵に描いた餅に終わるという典型的パターンである。
結局、政府の情報が少ないまま各企業はバラバラの対策をとらざるをえなかった。その結果、マスコミ報道の過熱ぶりとも連動し、商取引にも影響する事態になった企業も少なくない。たとえばマスク着用の有無である。
新たに浮かび上がった「風評被害」対策
ある大手通信系企業は、厚労省は頼りないので米国のCDC(疾病予防管理センター)の情報を参考にいち早く弱毒性と判断し、連休前に出社・退社時のマスク着用については義務ではなく「推奨」とし、さらに5月18日には会社としての対策をすべて解除した。
ところが解除した5月18日は国内感染者が発生した大阪地区ではマスコミをはじめ世間が大騒ぎしていた時期である。マスクを必死になって買い求める人々の光景がテレビでも盛んに報道された。
同社は社員に対し、マスクは罹患した人が着用することで感染拡大を防止できるが、健康な人が着用してもそれほど効果はないと説明していた。しかし、同社の対策本部には営業現場から会社が備蓄しているマスクを送ってくれとの悲鳴に近い要請が殺到した。
「マスクを着用しないと会社に入れてもらえない、これでは仕事にならないと言ってきた。そういう会社が数十社もあった。顧客との認識が違うなかでマスク着用は推奨のままでいいのかという議論は社内でもあった。現場の要望で急遽、備蓄品のマスクを出すことになったが、こんなにも認識が違うものかと正直、驚いた」(同社対策担当者)
インフルエンザの危険そのものよりも、こうした世間との認識のギャップに“恐怖”を感じた総務・人事担当者も少なくない。
大手製造業の人事担当者は「感染の恐ろしさよりも風評被害が怖いと感じた。弱毒ではあっても社員が感染した場合、事業所を閉鎖しなければ、社会的に非難されるのではないか。そうしないと商品そのものの信用を傷つけかねないという懸念を抱かざるをえない。世間が見てどう思うのかという観点から逆に厳しい視点で対応していかないとまずいかもしれない」と指摘する。
各企業が事前の行動計画に基づき、冷静な対策を実施しても、取引先や世間との認識ギャップにより業務に支障を来す恐れもなしとしない。混乱期にどのように臨機応変の対応をとるかも新たな課題といえそうだ。