組織・人事

ダイバーシティが人材戦略を変える【法政大学大学院 諏訪康雄教授】

昨年秋以降の急速な景気悪化を受けて、雇用のあり方に注目が集まった。企業の人材戦略がこれまで以上に問われる時代に入っている。企業の人材戦略の課題と、将来を見据えて取り組むべき施策について、法政大学大学院の諏訪康雄教授に聞いた。

諏訪康雄教授

法政大学大学院 諏訪 康雄 教授

一橋大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。ボローニャ大学(イタリア)客員教授などを経て現職。「キャリア形成を支援する労働市場政策研究会」(厚生労働省)、「社会人基礎力に関する研究会」(経済産業省)などの座長を歴任。専門は労働法・雇用政策。主な著書に『雇用と法』(放送大学教育振興会)、『労使コミュニケーションと法』(日本労使関係研究協会)など。

昨年秋以降の不況で雇用環境は大きく痛みました。注目した動きは何ですか。

まず、企業業績の急速な落ち込みが目を引きます。これまで好調だった輸出関連企業に非正規雇用されていた人たちを直撃しました。愛知県の有効求人倍率は1月に1.0を切り、4月には0.52まで落ち込んでいます。

産業の活発な地域で雇用が急落した事態には驚かされます。これがじわりじわりと内需型企業、サービス関連企業に及んでいくとなると、さらに厳しい状況が予想されます。

2つ目は、雇用調整のスピードが速まったことです。非正規雇用を中心にきわめて早い速度で雇用調整がなされた。正規雇用へと一段進んだ雇用調整が広がる懸念も強いです。今のところ雇用調整助成金などで政策的に歯止めがかかっていますが、これで支えきれなくなったときには、さらなる調整へと進む可能性があります。

過去の不況期では雇用を守るため過剰人員を社内や関連企業で抱え込む努力がなされましたが、日本型雇用をめぐる対処の仕方が変わってきたと感じています。欧米ほどではないが、雇用調整はスピードアップしています。

欧米で失業率が9%に達している中、日本はまだ5%台。やはり日本は雇用調整に慎重なのですが、その分、社内に過剰人員を抱えているとすると、この部分での調整が起こり得ます。

3つ目は、過去の不況で既存の雇用を守るためのしわ寄せで犠牲になった若者たちの問題です。マクロ的にはフリーターの相当数が30 代となり、この世代の雇用不安、処遇の低さ、将来のキャリア展開の閉塞性などが指摘されています。

個々の企業ではこの世代が中心となる現場力も低下していると言われています。雇用関係が多様化する中で、適切に教えたり、マネジメントしたりすることができず、技能の継承が困難となる事態も起こっています。

新卒採用は厳選採用の流れが加速しています。

新卒採用を見ていると、従来ならこれだけの不況だと採用をストップする企業が大半でしたが、それなりに採用しようとしている会社があるのは、この間、新卒採用の中断は弊害があることを学んだということでしょう。

ただし、厳選採用の流れから、いくつも内定をとる学生と全く内定が取れない学生の二極化は顕著です。

団塊世代の雇用延長が終わっていけば将来的には人手不足になるという見通しを持っている会社は多い。不況による雇用調整が一段落した後の景気回復期には、第二新卒のような若手の奪い合いになる可能性もあるでしょう。いわゆる七五三現象が昂進しそうです。

ただ、劣化した雇用環境の中ですと、期待水準に達するほど訓練された人材がどれだけいるか。訓練されないままいわば放置されている貴重な若手人材は実に多いです。

ですから、今のような時こそ企業には若い人を採用し、しっかりと訓練し、キャリアの期待を持たせて欲しい。こうした時期に採用し鍛えた人ほどロイヤリティを感じてくれるものですから、企業も訓練のし甲斐もあるのではないでしょうか。雇用政策もそうした企業を積極的に後押しすべきでしょう。

企業の人材戦略の課題は何でしょうか。

平成不況で年功序列型をどうするかは課題になりましたが、正社員の長期雇用そのものにはあまり手を付けなかった。個々の企業を見ると、既存社員の雇用は維持したところが多い。その分、非正規雇用で対処しようとし、これが急増したのでした。

グローバル競争が産業構造を急速に変えていく中、長期雇用の保証はますます難しくなってきています。ですが、短期雇用で生産性をあげることは難しいのも事実です。13年程度の勤続時点で生産性が最も高くなるという欧州の調査もあります。

「フレキシキュリティ」と呼ばれる、一定のフレキシビリティ(柔軟性)とセキュリティ(安定性)のある雇用方式へと進んでいかざるをえないのではないでしょうか。

1つの制度や仕組みで一色に染まることはなく、モザイク状に広がる雇用の姿が予想されます。ダイバーシティを内包し、女性、高齢者、外国人の存在感は高まります。これが日本の人材戦略のあり方を大きく変えます。

一律・年次による管理、男性中心の金太郎飴型を前提とした仕組みの維持が難しくなり、サラダボールのようにそれぞれの素材が存在感をもち、味わいを作る人材戦略や雇用管理のあり方を模索していくことになります。

ダイバーシティを推進するには何が必要でしょうか。

組織のトップは戦略的なサスティナビリティ(持続可能性)を考えるのが役割です。戦略はボトムアップではなくトップダウンです。その際、トップが持つ時間軸が大きな要素となり、過去の自身の体験と自分の寿命が一定の制約になると思われます。いわば発想力の限界と言えます。ですから40歳代のトップが理想なのでしょう。

日本のトップは就任年齢が高いため、時間軸において過去が長く未来が短くなります。これが日本のあらゆる戦略をゆがめてはいないでしょうか。それを補正し、トップに刺激を与えたり、逆に戦略を現場に浸透したりするのがマネジメント層や人事部門の役割です。

新しい考えを入れるのに大切なのは、旅館で言えば旧館や本館をすぐに壊し、新館を建てることではありません。新館を建て増しながら先を考え、顧客の動向を見ながら、徐々に移行していく。人事管理のあり方も気が付くとずいぶん変わったと思えれば良く、それが進化です。10年後、15年後にどのような人が育っているか。採用する学生や若い社員をどのように育てるかを、今、考えるわけです。

私が非常に懸念しているのは30代でうつや自殺が増加していることです。ここ10年ほどの企業の人事戦略がサスティナブルでなかったことを示していなければ良いのですが。

ダイバーシティとは人が自然と成長するようにどうしないといけないか、変化や成長の邪魔をしない方法を考えることです。古い人たちも変わらないといけないですが、それは容易でありません。むしろ若い人たちのこれからの成長を優先的に考えることが望まれます。10年後、15年後を見据えてプログラムを作る。

前の世代にはやっていないのに新しい人たちだけにやるのはおかしいなどと言うのは、考え物です。それは仕方がないことなのです。古い考え方や仕組みで有効なものは自然と残ります。しいて無理に壊さなくても、だめなものは朽ち果てます。

でも新しい方式はしばしば戦略的に進めないと育ちません。古い考え方との軋轢もありますから、支援戦略となるのがダイバーシティマネジメントでしょう。

今から15年前は1994年で、その後もバブルの処理がずっと続きました。振り返ると、つい昨日のことに思えます。今から10年後、15年後も同様の速度でやってきます。客観的な基盤が大きく変わっていく中で、今の長期雇用をどうするかを議論するだけでなく、10年後、15年後に何が実るか、どう対処するかを考えるのが戦略です。

スタティック(静的)ではなくダイナミック(動的)なシステムの構築が求められます。それは、個々の企業だけでなく、政府の雇用政策にも求められています。

リーダーを育てるにはどうすれば良いでしょうか。

諏訪康雄教授

リーダーに育つ可能性がある人に場(機会)を与えることこそが自然な対処法でしょう。場において鍛えられていくべきです。昔の軍隊や最近の官僚の不祥事を見ても、いびつなエリート教育は不自然で、無理が生じるようです。

私は数年前から経済産業省で社会人基礎力の議論をしてきました。これからの人材に必要なのは「前に踏み出す力」「考え抜く力」「チームで働く力」の3つ。確かに戦後の教育も「考え抜く力」の一定部分は鍛えてきたと思います。受験勉強は限られた時間や制約条件の中でいろいろ工夫して勉強を進めていくわけですし、難関大学ほど応用力を問う問題が出ます。

ところが、そこを突破した人たちの「前に踏み出す力」は怪しい。正解、つまり過去を見て失敗なく進めることが得意な人たちは、欧米を見て、その正解(過去)の延長線上で伸びていける時代は良かったのですが、ここ20年ほど通用しなくなってきました。 失敗する可能性はあっても前に踏み出していくことが必要な変化の時代となっています。こうした時代には、前に踏み出しつつ、原点に返り、今後は何が大事かを考え抜く力が問われます。

受験勉強の最大の問題は、チームワーク力を全く考慮していないことでしょう。受験選抜では、個人的な結果だけが問われ、チームを組んでみんなで成果を挙げることはおよそ評価されない。そうすると、どんな人が育ってくるでしょうか。どうしても自分さえ良ければという発想となる可能性が高くなる。

日本の企業ではリーダー候補として有名大学の体育会系の学生を積極的に採ることが多く、企業トップにも体育会出身者が多いようです。基礎的な学力があってチームワークや前に踏み出す訓練がなされているからといった理由からでしょう。しかし、スポーツに熱中しすぎると、専門的訓練が欠けてしまうことも起きる。

極端なことを言えば、18歳までは有名大学に入るために受験で自分が勝てばよいという人間形成です。18歳からは専門的な勉強はしないまま上下関係が厳しい体育会で自分の所属するチーム(組織)が勝てば良いとばかりに頑張った人たちが少なくなかったとすると、これからの知識社会を乗り越えられるでしょうか。

トップになってからの付け焼刃では難しく、専門的な知的訓練が不足し、教養や専門知識といった基盤がないと、きちんとした戦略が立てられない。そうした真のエリートを育成できないと、海外に出ても自他ともに恥ずかしい思いをしかねません。

企業の人材育成の進め方はどのように変わるでしょうか。

社会人基礎力の多くは25歳ぐらいまでに決まってしまうでしょう。その基礎がないのに40代になってからリーダー教育をしても無理、無駄が多い。アメリカのコーポレートユニバーシティでは、そうした基礎がある人を対象にして教育訓練します。

また、これまでの日本企業の教育とりわけOff-JTは技術やノウハウ、ナレッジ教育に偏重していて、リーダーを育てる教育にはなっていない。社会人基礎力をどう育てるかを考え、20代でバージョン1.0、30代でバージョン2.0、40代のバージョン3.0で完成というようにやるべきです。

今の若い人に投資した分は将来につながります。人的資本への投資は、今年の予算でいくらという短期的な視点ではうまくいきませんから厄介です。現場に出た人材が育つ要素は3つです。10の力の人に12、13程度の仕事をさせて背伸びをさせること。ただし、20与えると負担過重で潰れてしまいます。

2つ目は責任を負わせる。これまで以上の決裁権を与えて緊張感を持たせる。一皮むける経験です。この2つで失敗することもあるでしょうが、これに正面から向き合うとさらに成長できる。

3つ目は闇雲にやるのではなく、計画性が必要です。計画通りガチガチにやる必要はありませんが、スキルマップ、ナレッジマップ、社会人基礎力マップなどを作成して進める、一定の計画性が大切です。

失敗をたくさんし、生きるか死ぬかの経験をし、それらを乗り越えると、人が育つことは間違いありません。批判されている世襲議員や二世経営者の少なからぬ人たちがなぜダメなのか。それは父母たちほどの修羅場経験がないからでしょう。

子供の挑戦に背中を押してやり、成長させる機会を若い時期に経験させることが大切ですから、人材育成を担当する人は基本として、自分の子供にさせえないことを、社員にはさせることはできないと考えてください。

国の教育政策にも大きな課題がありそうですね。

メディアのアンケートを見ると、親の7割は総合学習をなくせという意見のようです。指導できる先生が少ないことも利いています。多かれ少なかれ学校秀才型だった先生たちは正解志向のマニュアル型ですので、自分で組み立てを考えられない場合が多かったようです。

最近注目されるフィンランドの教育改革では、まず先生の知的訓練の指標を高め、既存の先生にも再訓練をして、自律的なリーダーたる先生を選抜し、育成しようとしました。

教育の問題は、一企業だけでは難しく、国、産業界も一体で取り組むべき課題です。当分は良くても将来的にはなくなってしまう産業もあるわけですから、そこに人材を特化させ、固定させてしまうと、積み上げたキャリアが根底から崩壊しかねません。

20歳ころから65歳かそれ以上まで働く人たちと社会の先を読みながら、人材を育成していくことは国のあり方が問われる部分です。

先生は「キャリア権」という考え方を提唱されていますね。

なぜ人材を育てるのかを考えると、国が困るから、企業が困るからという視点があります。しかし、これでは人間が手段視されるばかりです。そればかりではなく、人間それ自身が目的でもあるはずです。

人間は二度とない人生を生き、その人なりに能力を開花させようとする。こうした職業生活の展開を個人のキャリア形成を支える法的基盤の面から捉えたのが「キャリア権」です。 個人は「キャリア権」を持っている。だからこそ、個人がこの権利を基盤に人生の関門を乗り越えていくのを支援するために、国は義務教育や生涯教育、就業条件整備などを行う。この考え方は、憲法が保障する個人としての尊重(幸福追求権)や労働権を基礎としています。

国はキャリア権を認め、その円滑な展開がなされるようにすることで、社会も個人も安定し、税収も確保されるという構造にあります。 企業には組織としての「人事権」があります。その行使が行き過ぎると「キャリア権」を侵害する。「人事権」と「キャリア権」を健全に摺り合わせていくことが必要で、これはダイバーシティの基盤になります。企業には個々人の「キャリア権」に配慮した組織設計がこれまで以上に求められるでしょう。

女性活用は大きな伸びしろがあります。男性活用は相当に伸びきっていますからね。もう少し可能性が広がる方へ目を向けないといけない。「不況になったからダイバーシティは中止」という企業は戦略的ではなく、サスティナブルではないということです。これでは日本は持ちません。

短期戦の戦術に偏り、中長期の戦略に負けつつあるように思えてなりません。国も企業も10、15年のタイムスパンで何が必要かを考える。学校も目先の戦術ばかり教える傾向があるし、企業でもどこの職場も短期戦の勝ち方ばかりを考えている。社会人大学院に来るビジネスパーソンを見ていてもその傾向を強く感じます。

戦略に裏打ちされた戦術展開を打ち出していける総合的な人間力を鍛えていかないと、世界では戦えない時代が来ているのはないでしょうか。

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