景気が思うように回復しない中、中国が新マーケットとして脚光を浴びている。今回の金融危機で輸出産業を中心に大打撃を受けた日本経済だが、人口が減少していくことから、日本市場は中長期的にも縮小傾向にあることは明白だ。これまでもコスト削減のために中国進出は行われてきたが、いま進出を考えている日本企業には、それだけではない理由があるようだ。中国進出企業の実情と人材マネジメントの課題を、世界最大の人事コンサルティング会社日本法人、マーサー ジャパンの寺田弘志シニア・コンサルタントに聞いた。
マーサー ジャパン
寺田 弘志 組織・人事変革コンサルティング シニア・コンサルタント
人材マネジメントシステム(等級・評価・報酬制度)の設計・導入、人材モデルの策定・運用支援、制度改革に伴うマネジメントおよび社員コミュニケーション支援、およびリーダーシップ開発プログラムの設計・開発・展開に従事。外資系ERPベンダーおよび外資系コンサルティング会社を経て現職。京都大学大学院工学研究科電気工学専攻を修了。
いま中国がなぜ注目され、進出を考える企業が増えてきているのでしょうか
日本企業の中国進出には二つの流れがあります。一つは、コスト最適化の観点から国内の機能を海外に移転するというものです。こうした流れは今後も引き続き起こってきます。 国内市場の成熟化の中で、収益性の強化は引き続き重要な課題であり、海外の方がより同じ品質でコストが安いということになれば、経済原則として海外移転は継続していくでしょう。
そして、いま起きていることは、中国自体がモノづくりの一生産拠点から、購買力が高まった巨大なマーケットへと変遷を遂げているということです。日本の市場が、輸出依存型の市場の縮小や人口減により回復へのシナリオが描きにくくなっている中、中国などの新興国の新しいマーケットが益々重要になっているのではないでしょうか。
すでに消費財系のメーカーでは国内の事業を合理化・効率化し、そこで生じた余力を中国などの新興国の事業に投資するということが起きています。こうした傾向は、あらゆる産業で加速すると予想しています。中堅・中小企業でも、モノが売れない日本から中国に進出しようという動きがでてきています。地方企業にとっては、東京と上海とでは距離的にもあまり変わらず、比較的アクセスしやすいというイメージがあります。
また、上海・北京だけでなくそれらを取り巻く中核都市でも、ライフスタイルに違いがなくなってきていることも、進出を促進する要因の一つとなっていると思います。日本製品が、中国においてブランドイメージが高いことも重要な要因だといえます。新たなマーケットを目指して、地方の中小企業が自治体などと組んで進出するというケースが今後、増えていくと予想しています。
中国で事業を拡大しようと考えている企業の特徴は?
すでに大手企業においては現地でのオペレーションを確立しているといってよいでしょう。しかし、その中身は、国内の製造拠点を人件費の安い中国に移すとか、販売拠点を現地に設立するという形態が多かったように思います。 ここにきて中国の市場が急拡大してきていることから、製造拠点だけを持っていた企業が販売機能を備えて市場開拓に乗り出す、もしくは、現地に製造・物流拠点を設けて製造から販売までの一貫した体制を構築するといった動きが広がっています。
言い換えると、単機能からバリューチェーンへと事業形態を拡大・高度化する局面に入り始めています。一方、中堅・中小企業では、今後、新たな成長を目指して中国に進出するような流れが起きていると考えます。これまで、中堅・中小企業にとっての中国進出は、法制度や商慣行などの違いもありハードルが高いと受け止められてきました。
最近は、中国の積極的な外資の受け入れなどに見られる事業環境上の好転もあり、日系企業の成功事例も増えていく中で、政府や自治体等の支援があれば自分たちにもできるのではないか、という雰囲気になってきたことが大きいと思います。さらに、中国社会における経済発展の影響で、これまでの富裕層だけではなく、新たに中間層が形成されつつあります。この層は、日本人と同じような嗜好・ライフスタイルを有しており、高級なブランドだけではなく、多少高額でも品質が良い商品が受け入れられやすくなってきています。
これまでは沿岸部での中間層の増加が顕著でしたが、内需拡大により、今後は内陸部でも中間層が拡大していくと考えられます。 このように、成熟化していく日本市場に対し、拡大する中国市場は相対的に魅力が高まっています。中国での成功は夢物語ではなく、いまや実現可能な選択肢になってきているといえるでしょう。
中国のマーケットの現状と成長性は?
前述のような好ましい側面もある反面、成長の裏に潜むリスクにも注意を払う必要があります。先日、中国人の同僚と話をしたのですが、現地から見ると、まだ、先行きに不透明感があるということでした。いま順調に経済が回復してきているのは、政府が大規模の経済対策を実施しているからで、それがなくなったときに現在の景気がどれだけ続くのか、という懸念が現地の人間にはあるようです。
一方で、今回の経済危機により中国経済がどれだけ影響を受けたかというと、金融業界や欧米への輸出に力点を置いた企業では確かに大きかったようです。国内の実需に立脚している産業は思ったほど大きな影響は受けておらず、回復も順調であるという話も聞いています。
実需にもとづいた堅実な経済活動は中国経済の成長をこれからも支えていくのであり、日本企業も短期的な収益の確保でなく、中国経済にどうやって根を下ろし、現地の経済や生活水準の向上に貢献していくか、という観点から中国進出を捉えていくべきではないでしょうか。
成熟した日本と成長している中国とでは、マインドがやはり大きく違っています。中国のように成長が期待できる社会では個人の支出も拡大していきますが、将来の見込みがない社会では、将来の不安に備えて貯蓄に回すというマインドが支配的になります。そこが日本経済と中国経済の一番大きな違いではないでしょうか。
中国でも日本と同じように“不況”と言われていますが、街並みを歩いてみると中国により活気があることは一目瞭然です。中国は景気が悪いといっても、その実、日本の景気が良かったころと変わりないような印象を受けました。 このように、一言で不況といっても、その内容は日本と中国とではかなり温度差があるということを認識しておかなくてはなりません。
富裕層とは違う中間層とはどのような層でしょうか
日本でいいますと、管理職クラス、または係長クラスになるのではないでしょうか。中国の労働市場は、ブルーカラーは非常に低く賃金が抑えられていますが、ホワイトカラーでは職位が上にいくほど賃金は大きく上昇していきます。管理職に昇格することで報酬が数倍になるということもそう珍しいことではありません。
また、額面賃金を見た場合には、日本の管理職層の報酬は中国の管理職よりも高水準だと言えますが、物価水準を考えた時には購買力が逆転するのではと感じます。中国においてキャリアアップするということは非常に魅力的です。中国での経済発展に伴ってこうした新・中間層の一員となるチャンスも増えてきており、成長の新たな推進力となっているといえます。
日系企業の人材マネジメントの課題は?
中国の労働市場は流動性が高く、より高い報酬やポジションを求めてすぐに別の会社に移るということが頻繁に発生します。そのため日系企業では、優秀な人のリテンション(引止め)が、以前からの課題になっています。欧米系の企業と比較すると日系企業には「ガラスの天井」と呼ばれるような現地社員にとってのキャリアの壁があると見られており、あるレベル以上は日本からの派遣社員に占められてキャリアアップできないと従業員から思われているようです。
そういう部分が見えてしまった瞬間に、優秀な人ほど、別の企業でキャリアアップを図ろうとする傾向があります。 これは、流動性の高い中国での人材マーケットにもその一因があると考えます。中国においては、自らの専門性を高めていくほうが合理的であるケースが多く、日本企業が好むような「幅広いローテーション」は優秀な社員ほど受け入れられにくい、と考えるほうが妥当です。
一方では優秀な社員を引き止めるためにより高いポジションを提示できるような機会を提供しないといけません。このあたりに多くの日系企業の悩みがあります。欧米企業では、「海亀族」という言葉に代表されるように、留学生や中国国外で活躍している人材を本社で採用し、その後中国に派出して中核となるポジションに登用するという手法を活用し、一定の効果を生みだしています。
最近は日本企業でもこういった成功事例を活用して、留学生を幹部社員候補として採用するケースも増えてきていますが、会社としての価値観を理解させ、幅広いキャリアを積むことが会社・本人双方にメリットがあるということを理解してもらうことを併せて実施していかなければなりません。
もう一つ重要なことは、人が辞めていくという現状を受け止めつつ、人材に投資し続けるという姿勢を崩さない、ということです。流動性の高い中国人材市場では他者からの「評判」も重要な応募動機となります。自社がよい企業イメージを構築し、そのイメージどおりのことを行っていれば、ある社員が別の会社に転職しても、「この会社は良い会社だから応募してみたら」という口コミにつながり、強力な採用ツールになっていきます。
社員に自社のキャリア開発の仕組みを理解してもらうことは、優秀な社員の引止めだけでなく、社外における採用ブランドの向上にもつながり、より強力な採用競争力につながります。その意味からも、離職率が日本より高いからといって人材投資をおろそかにする、ということはあってはなりません。