企業のメンタルヘルス支援を専門とする公益財団法人日本生産性本部 根本忠一氏に、メンタルヘルスについての基本的な考え方からストレスチェック制度の活用ポイントまで、解説してもらいます。社内カウンセリングの最新動向とそもそもカウンセリングとは何か、そしてメンタル不調を防ぐカウンセリングについて説明します。
カウンセリングの起源はどこに
カウンセリングが日本で広がりを見せたのは一般的には1950年代と言われています。その端緒を開いたのが日本電信電話公社です。1954年に近畿電気通信局に人事相談役を置き、それが制度化され全国に普及したことで多くの企業でカウンセリングが始まったといわれています。
一方でよくよく調べてみると、カウンセリングという言葉が普及する前から、社員相談は行われていたという記録があります。それよりも30年もさかのぼる1918年(大正時代7年)に官営八幡製鉄所の会社の門の前で、元牧師を1人雇い身の上相談をしていました。
なぜこの話をするかというと、カウンセリングは何のために生まれたのか、そしてこれからどちらに向おうとしているのかを考えるためです。前者はアメリカで進化し体系化されたカウンセリングがやがて日本にも普及していったことを意味します。後者は組織で働く人の生活を支えるための必要から社員相談が自然に生まれたことを意味します。
ここで考えたいことはカウンセリングという研究領域が確立する前から必要として既に社員相談が行われていたという事実で、人間の生きる営みの中での必要から自然に相談が生まれたという視点です。
困った人を助けたいという人間の本能
人はなぜ困った人を助けようとするのでしょうか。これについて、20年以上ミャンマーで医療支援をしてきた吉岡秀人医師は、菊池寛賞受賞スピーチでこんなメッセージを残しています。
「困った人を助けたい、苦しんでいる人の為になりたいという思いは、実は人間がこの世界に産み落とされたその時から、僕らが僕らの本能の中に眠っている最もサステイナブルな(つながりゆく)思いなのではないか」
人が生きていくうえで悩みや苦しみを持つということは避けられません。名著「夜と霧」を記したV.フランクルは「人生に意味があるのであれば、それに属する苦悩にもまた意味があるに違いない」と語っています。
苦悩は人を強め、理不尽さに耐えることで本物のやさしさを学ばせます。自分の痛みを通し、他人の痛みを知ることが出来るからです。かつての傷の痛みの記憶は、苦しむ者を前にしたときによみがえり、それが癒しの力となってあふれ出していきます。逆に自分が苦難に出会ったときに痛みを感じて来なかった人は何もすることが出来ないかもしれません。
苦悩は人生の意味を学ぶ良き機会ではあるのですが、それは辛いことですし下手をすると病気になってしまいます。人が苦しむ姿を目の前で見たくないというのは人間としての良心であり慈愛に満ちた思いであり、苦しみの淵に立つ人を何とか救いたいという気持ちを持つことは人間として生きている証しなのかもしれません。
来談者中心療法の誕生
臨床の技術としてのカウンセリングは医学的な治療法を心理に応用したと言われています。現代カウンセリングの基盤を作り、日本で未だに根強い人気を博しているカウンセラーはカール・ロジャーズ(1902-1987)です。彼の前の時代は、カウンセリングはどちらかというと医者と同じくクライアントに対し優位なところに立ち指示的な指導が中心でした。
彼は昼間診ている患者の話をもう少し聞きたいと夜自宅の暖炉の前に招きました。そして昼間の続きをしている間にあることに気づきます。話をしていて患者が自分をありのままに受け入れるようになったときに患者自身が変わってゆくことを発見したのです。
自己受容が本人の変化と成長を促すことを確信し、非指示的カウンセリングを提唱するようになりました。ここで、クライアントが自ら成長する力や主体性を重んじる来談者中心療法が生まれたわけです。
悩みを取り除くことで人は苦しみから解放され幸せになれる、人は頭ではそう考えがちです。しかし、だからといって悩んでいる人を相談室に送り込めばいいと考えるのは思慮に欠けています。人間をカウンセリングにあてはめるのではなく、カウンセリングを人間にあてはめないとなりません。意図しないところで目的と方法をはき違え人間疎外を生み出すことがあるからです。
特に困難な状況にあるクライアントにとってはその期待が大きいぶん陥穽(かんせい)にはまることに気をつけなければなりません。カウンセリングの本質は、相手を思う人間のやさしさに根差している、そのことを忘れないでいたいものです。
「悩みがあれば相談室へ」でいいのだろうか
とある企業の社員相談室の来談者数はどんどん増え続けており、今年度は昨年度実績の2300件を超える見通しと聞きました。実は来談者の7割が、悩みがあって相談室に来るのではなく悩みを抱える「前」に自分から相談に来ているのだそうです。
「どうしたらそれだけの来談者があるのでしょうか?」と尋ねたところ「来ていただくためにプロモーションの工夫をいろいろと重ねてきました」と答えが返ってきました。“プロモーション”というと軽く聞こえるかもしれませんが、その実践は現場の社員に何が必要かを見極め、実に練られています。
そうした地道な努力によって、悩みを持ったら、ではなく、悩みを持つ前に相談に行く、いわゆる予防的な対応がうまくいっていると理解しました。このことは、企業内カウンセリングの存在価値に大きな示唆を与えてくれています。
さまざまな企業では「相談室を作ったけれどなかなか活用できない」「相談機関と契約したけれど利用者はほとんどいない」という嘆きをよく耳にします。カウンセラーがいれば心理の専門家がいれば相談室に行く、という単純なことではないのです。
大事なのは、どうしたら来てもらえるかであり、そのために“敷居をいかに低くするか”が課題になります。それをカウンセラー側の目線で効用や素晴らしさを説くだけでなく、より利用者の目線でいかに行きたくなるかを考える必要があります。それで結果的に社員が問題を起こさないための未然予防が出来れば、会社にとってもメリットです。
メリットとは損得でも対投資効果でもありません。メリットとは、カウンセリングルームが機能することは会社にとってのリスクマネジメントの成功であり、現有人材の有効活用に寄与するということです。対投資効果などと言っているようでは、社員を奮い立たせることはできません。
よく議論されることですが、相談が増えることは病人が増えているということなのか、それとも相談室が機能していることなのか、その疑問の答えがここにあります。健康な人がポジティブな相談に来られるのであれば相談が増えることは大歓迎でしょう。
会社が社員を大切にして期待しているというメッセージがその相談室から発せられればカウンセラーはたとえ疲れても誇り高く仕事が出来るはずです。先の相談室も2300件を超える相談を引き受けるからにはそこにカウンセラーの方々はきっとその経験に学んだ張りと気概があるからだと思います。
冷静に考えればわかりますが、企業内のカウンセラーは、利用率が高くても自分の稼ぎになるわけではありません。何のメリットもないのに? と思う人もいるでしょう。先のカウンセラーは「ベースにあるものは情熱と信念」と教えてくれました。社員を支え会社の原動力になるという強い意志表明です。実入りのためではなく、カウンセラーとしての使命を全うし、自分なりに会社に貢献する、それがカウンセラーとしての矜持なのだと思います。
人の心の苦しみに寄り添う
私自身、30年以上カウンセリングの世界に触れながら、苦しみからの解放が本当の幸せなのだろうかと考えることがしばしばありました。その破れ口に立つことがその人の成長にとって本当は避けて通れない必要なことだと思うからです。
私自身のつたない体験から得たことは、苦しみや悩み痛みは取り除くものではなく分かち合うものだということです。どんなにつらくても一人にならず耐え抜くことで必ず得るものがあるということです。
それを思うと、言い訳のできないようなきつい状況に置かれた時にカウンセラーでなくても自分を思う友がいてくれたことでどれだけ救われたことか。たとえ問題が解決できなくても、「まだ生きている」「まだつぶされていない」と思えたことが自分をどれだけ強くしてくれたことか。
人はさまざまな苦難を通して、自分は己の力で生きているのではなく何ものかに生かされていることに気がつかされることがあります。それに気づいたときに、言いようのない感謝の気持ちに満たされ、次には誰かのために生きたいと思うようになるのです。そうした見えない何かの力で人は生かされ成長してゆくのが人間の自然な姿に思えます。
誰しも人生の中でかならず挫折を味わいます。問題はその挫折にきちんと向き合って自分を強め成長させることが出来るかです。だから安心して悩み、そのことを通し生きている実感を味わい、人生の深みを知っていく、そのためにカウンセラーがいるのだと思います。
あの相談室のように、問題を抱える前にカウンセラーに会っておくことはいずれ訪れる試練の時にきっと役に立つはずです。今、この時代にあって、カウンセリングの価値をもう一度見直すことが大切に思えます。そしてもう一度来談者中心療法、クライアントセンタードへの回帰が必要なのではないでしょうか。
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