組織・人事

経営の活性化と働く人の幸福、その根幹にメンタルヘルスあり【人事担当が押さえたいメンタルヘルス推進のポイント】

企業のメンタルヘルス支援を専門とする公益財団法人日本生産性本部 根本忠一氏に、メンタルヘルスの起源やこれからのメンタルヘルスの位置づけについて解説してもらいます。

メンタルヘルスの起源とウェルビーイング

昭和50年代初頭、日本生産性本部がメンタルヘルスの世界を切り拓こうとしたときに内外から大きな批判があったと先輩から聞いたことがあります。医学・心理学の世界からは「素人が…」、とさげすまれ、生産性本部の中からも「うちが立ち入る領域ではない」と言う人がいたそうです。

精神の問題を病気としてではなく健康な勤労者の心の問題として扱う、当時としては世界にも例を見ない奇想天外な発想に専門家の反発があっても無理がなかったと思います。

今でこそ「ウェルビーイング」が話題になっていますが、半世紀をさかのぼる1948年のWHO憲章前文の健康の定義の中に「ウェルビーイング」は既に取り上げられています。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

WHOの提唱後30年を経て、生産性本部の先輩たちが健康の真の意味を問うキーワードとして「メンタルヘルス」を世に問いましたが、それでも日本では受け入れる素地が出来ていませんでした。

私自身も若い頃、企業に出向き、メンタルヘルスの重要性を説くたびに何度も鼻で笑われたことを思い出します。しかしこの国には人を大切にして会社を盛り立てようという志の高い経営者、人事、労組が間違いなく存在することをその時に知ったことが私たちを勇気づけてくれました。そしてその方々の小さな追い風がやがて大きな風となって私たちを新たなステージに連れて行ってくれました。

やがてメンタルヘルスが社会的認知を受け出したころ、ある大企業のトップから「生産性本部は罪滅ぼしでメンタルヘルスをやっているのか」と真顔で言われたことを忘れることが出来ません。

罪滅ぼしどころかそれで霞を食って生きていると思われたくありませんでした。私自身、生産性本部の人間として日本の経済発展の一翼を担っているとのささやかな自負がありました。それゆえに組織の発展と個人の幸福をどうつなぎ、どう実現させるかが命題として私の胸に刻まれました。

健康至上主義(ヘルシーイズム)からの脱却

健康が大事であることは誰もが知っています。しかしそれを他人からとやかく言われたくはありません。健康を守るというのは企業にとって重要な使命です。しかし企業の日々の現実においては数ある使命のうちのひとつです。それを常に最優先課題にしているかどうかは実のところは企業次第で、その理解と位置づけは企業ごとにさまざまです。だから継続した啓発活動が必要なのです。

しかし、「正しさ」の持つ強さは人の気持ちを冷めさせる力を併せ持ちます。どんな正しいアドバイスをしても動かないものは動きません。いや正しいからこそ動かないのです。正しさで相手をねじ伏せるのではなく相手の側に立ち、相手が正しさに気づくように寄り添うことでしか相手は変わりません。

<心と身体が健康であることが重要である>ことは健康管理の視点では確かにそのとおりです。しかし経営の視点で言うと、健康であっても働かない人は残念ながらいます。人間の視点で言うと、健康であっても幸せを実感できない人はいます。

健康はゴールではなくスタートです。健康を元手にどう豊かな人生を築き上げるかが一人一人に課せられています。「どう生きるか」は人生を生きるうえで自身の価値観と態度への問いかけになります。その価値観と態度は、何をもって幸福と感じるかという感性にかかっています。それは人だけでなく組織もまた同じことが言えます。健康経営がブームですが、従業員にその価値観・態度を植えつけられるかどうか、その真価が問われています。

週休3日

なぜフィンランドが世界で最も幸福な国なのか

毎年発表される世界幸福度報告書でフィンランドが6年連続で1位になりました。当のフィンランドの人たちはそのことに違和感を持っていると聞いたことがあります。あまり笑うことなく内向的と言われるフィンランド人がなぜ幸福度1位なのでしょう。実はこの調査の評価尺度は、その国の国民の実感だけでなく、心の中の自由度やお互いを尊重し助け合っているかに焦点が当てられているのです。

フィンランド出身の哲学者フランク・マルテラは、人生の目的は「幸せ」を追い求めることではなく、人生に「意味」を見出すことだと説いています。歴史上の偉人たちは、「人生の不条理に直面し、自分の存在の小ささを受け入れたことではじめて自らを解放でき、人生に確かな意味を見つけることができた」と著書で語りかけています。一人一人が内省でき、それを互いに尊重される社会こそが世界標準の幸福なのです。自分だけの幸せを求める国は、真の幸せを手に入れることはできません。

2022世界幸福度ランキングの測定内容

  1. 人口あたりGDP(対数)
  2. 社会的支援(ソーシャルサポート、困ったときに頼ることができる親戚や友人がいるか)
  3. 健康寿命
  4. 人生の選択の自由(人生で何をするかの選択の自由に満足しているか)
  5. 寛容さ・気前の良さ(過去1か月の間にチャリティなどに寄付をしたことがあるか)
  6. 腐敗の認識(不満・悲しみ・怒りの少なさ、社会・政府に腐敗が蔓延していないか)

※参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「カネを稼ぐことで良い生活が出来る」と考える日本人

パーソル総合研究所の「グローバル就業実態・成長意識調査-はたらくwell-beingの国際調査」2023によると、世界18か国の労働の価値観を比較したところ、日本は、<良い生活をするのに十分な賃金を稼ぐ>ためと答える人の比率が最も高かったそうです。これは多くの日本人が当たり前のように思っている事実です。

「何が悪い?」とケチをつけられそうですが、何が悪いと言っているわけではありません。お金があればいろいろなものが手に入り幸せになれる条件が整いやすいのは事実です。しかし、そうした欲望の原理にゆだね、お金を与えれば人はいくらでも働いてくれる、その価値観をよしとするかが問われているのです。その考え方はやがて働かずに金を儲けるという願望に置き換わっていくでしょう。勤勉さを前提に金を稼ぐということを考えないと労働の質は低下するだけです。

パーソル総研の設定した『労働価値観』の選択肢

  1. 良い生活をするのに十分な賃金を稼ぐために働くこと
  2. 自分自身の成長のために働くこと
  3. 社会の人々を助けるために働くこと
  4. 自分の知識や技能について、他の人から褒められるために働くこと
  5. 同僚の役に立つために働くこと
  6. 自分の持っている力を「すべて出し切った」と思うために働くこと
  7. 所属する組織に自分を捧げるために働くこと

※以上、日本が全18か国との得点差(価値観の差)が大きい順に表記する。

興味深いことに今回の調査で、対象になったすべての国・地域において、「良い生活をするのに十分な賃金を稼ぐ」は、労働の価値観の選択肢7つの中で唯一「はたらく幸せ実感」とは無関係(相関がない)ということがわかりました。一方で「自分の成長のため」「社会の人々を助けるため」「所属する組織に自分を捧げるため」を重視する人たちがはたらく幸せ実感が高いということがわかりました。

心理学では「他者志向的達成動機」という概念で説明されます。人は他者とのかかわりの中で自分自身の存在価値を見出すことが出来ます。

幸福は、あふれかえった物の中にではなく豊かな心の中にある

人間が何をもって幸せと感じるか、この問いに作家遠藤周作氏は興味深い示唆を与えてくれています。

生活の中の幸せとは、人に何かを与えてもらうこと
- 自分の欲望(おもに所有欲と万能感)を満たすこと

人生の幸せとは、人に何かを与えること
― 他者のためになることで自分の存在価値を見つけること

また「世界で最も貧しい大統領」と言われたウルグアイのムヒカ元大統領は
「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
という名言を残しました。

この日本という国が「衰退途上国」と揶揄される今、私たち日本人は本当の豊かさとは何かをあらためて考え直すことが求められているのではないでしょうか。

「いかに組織を活性化させるか」は経営と人事の永遠のテーマ

アメリカの心理学者チクセントミハイは全世界8千人の面接をした結果たどり着いた答えは「人が幸福感を得るための鍵はすべての階層と文化に共通して自分の仕事を愛し、日々そのことに従事する喜びを感じること」でした。<仕事に従事する喜び>を感じることが幸福感を得るための鍵ならば、そこに焦点を当てることで人が幸福に生き生きと働く職場を作れるかもしれません。

「いかに組織を活性化させるか」それは経営と人事の永遠のテーマです。組織のリーダーの手腕、優秀な人材の採用、人事制度の工夫、従業員の教育訓練、個人の学習・自己啓発、さまざまな課題があると思います。しかしそれらが「働かせる」という操作主義に根差しているのであれば、本当の意味で組織を変えることはできません。主人公は「働かせる」上司ではなく、「働く」当事者たちです。働かされていると感じたら組織がどんな状態であろうとも組織のためには働きません。

英語には「IDENTITY」と並び日本語に訳しにくい言葉に「SPONTANEITY(しいて訳せば“自発性、自然さ”)」があります。訳しにくいということはそれに見合う日本語がないだけではなく、その「概念」がないということです。日本人の場合、行動のほとんどが“理由”に規定されています。「上司に言われたから」「お客さんに言われたから」「ノルマがあるから」「規則だから」それらを行動の根拠にします。自分の主体的な意思よりも枠組みに沿った根拠を必要とするのです。だから言われたことしかできない。自由がなければ幸せを感じることはできません。自由とは好き勝手にやることではなく、目的の中で手段を選べるということです。

今、組織をいかに活性化させるかを考えたときに大事なことは、なすべきことを伝え、従業員を信じその裁量を保証し、ポテンシャルをいかに引き出せるかにかかっていると思います。人は自分で選んだこと、自分で決めたことには責任を持ちます。誰でもが自分は正しいと思っているからです。もしそれが間違いだと本人が気づけば誰かがそっと手を差し伸べてあげればいい。しかし現実にそういう関係はなくなってきています。

人でしか持ち得ない力を培い、信じる

自分が働いていることに主体性と責任を持つためには、自分に課せられた仕事の意味と使命を理解しないといけません。働くことの意味を見出せず、自分らしさを発揮できず、無理やり働かされていると思うからこそストレス疾患にもなるのだと思います。ストレスを回避することよりも、苦境に立たされても働くことの意味を見失わなければやすやすとうつ病にもならないでしょう。

精神医学者フランクルの言葉がここで光を放ちます。

「人は敢えて苦しむことも覚悟の上で、意味へ向かおうとする」

前回の記事で紹介しましたが、守島教授が指摘した「人材投資のジレンマ」日本経済新聞社 2023(守島、初見、山尾、木内)従業員の「主体的な行動・思考」を誘発するマインドの教育こそが、仕事の意味や使命、価値観を伝える大事な機会になるのです。

これまで多くの企業は業績が悪化すると、従業員教育を「スキル・能力の教育訓練」に絞り込んできました。教授の指摘のように勇気をもって「マインドの教育」を選択してもよいのではないのでしょうか。

“意識を高め、個を活かす”というマインド教育の発想を時代遅れと捉える人もいるかもしれません。しかし個を活かすという組織哲学を高らかに謳えば、働くことをいとわない良き人材が集まってくるかもしれません。働きやすさを標榜し楽に稼げる組織を強調すればそれなりの人しか集まってきません。

人間の情熱は知の集積に勝り、互いの弱さを認め補い合いことは連帯を喚起し、計り知れないパワーを生み出すことになるのです。問われるのはそこに可能性を賭けるぶれない信念があるかどうかです。

東急グループの事実上の創業者五島慶太は「人の成功と失敗の分かれ目は、第一に健康である。次には熱と誠である。体力があって熱と誠があれば必ず成功する」と言い残しました。五島慶太の喝破した「情熱と誠実さ」は人でしか持ち得ない力です。現代組織はシステムや仕組みを指向しますが、それが進化するほど人間はそれにどんどん依存し個の存在感、労働実感が薄れていきます。

時代の流れの深層を見つめたときに、従業員個々が自分の意思をもって真剣に仕事に取り組む姿勢を強化しない限り組織は本当の強さを身に帯びることはできない。そういう時代が来ているように私には思えます。

社内

自分の会社を守れる社員を育てる課題

時代は第4次産業革命と言われるフェーズに入り、人が企業組織において働くということの意味を経営側も見つめ直す必要が出てきました。戦後の日本において、地方の多くの若者たちは安定した暮らしを求めあこがれの都会へ集まり、その人たちが日本の発展を支えてきました。豊かな生活を求めた人たちは時に理不尽な組織の要求にも耐え頑張って働くことを美徳としてきました。

しかし、労働人口が減少し働く者の希少性から労働側が優位になる中で、企業が自社で働くことの意味・価値を納得させるだけの力を持たなければ、やる気と能力のある人間ほど自分を大切にしてくれる企業を求めて会社を離れてゆくでしょう。

社会全体としては転職をキャリアマッチングの成功と見るかもしれませんが企業としては複雑です。組織のために見返りを求めず苦楽を共にし身を粉にして働いてくれる人がいなくなることは大きな痛手です。何より企業の伝統を背負った人たちこそが、企業が苦境に陥った時の最後の頼みの綱だからです。

「M&Aで雇用は守れる」と言う人もいますが、問題は雇用ではなく拠りどころなのです。慣れ親しんだ信頼のおける会社があり仲間がいることの大切さを侮ると大変なことが起こると思います。

社員に向き合う誠実さをもったリーダーに委ねる

トヨタ自動車豊田章男社長(現会長)は、2019年の労使会議で、「組合員は会社の繁栄を願ってほしい、会社は組合員の幸福を願う」そう訴えました。この時に労使の関係が変わったとトヨタイムズニュース「“社長”最後の一日に密着」で伝えています。

「肩書なんて関係ない。ものに近い、現場に近い人が勝ちなんです」

現場に目線を合わせ、現場を愛する社長の説得力のある言葉です。社長就任早々、アメリカで大規模リコール問題が起こり「一度死んだ」トヨタを復活させただけある本物の言葉に思えます。

インターネットの記事をかじっただけで軽々に論じることははばかられますが、おそらくその言葉を直に聞いた人たちは、自分の会社、仕事に誇りを持って力強く人生を生きよう、そう受け止めたでしょう。

会社の置かれた状況はどこも違いますが、こうした思いを本気で言える経営者がどれだけいるでしょうか。リーダーが本音を語り、思いの丈を伝え、それを聞いた従業員が奮い立たされ、皆が一丸となって本気を出し合う。これを昭和のノスタルジーと笑い飛ばすことはできるかもしれません。

しかし私が思うに、今の時代に日本が国際競争力に負けている最大の要因は「組織一丸となった本気度の欠落」に思えてなりません。ITやAIの時代だからこそです。時代変化の中でその時代に合わせた生身の人間の共同体としての会社をどう作っていくかを真剣に論じなければならないと思います。

リーダーは、己の至らなさを認め、部下を信じ切るしかありません。相手を動かそうという魂胆はすぐ見抜かれます。だましだましなどもってのほかです。

大切なことは、会社が上司が、従業員一人一人を信じ尊厳を守ること、生産性運動が言い続けてきた「人間尊重」の精神です。相手の尊厳を胸に刻めば、そこに惻隠の情と矜持が生まれ、部下の尊敬を集め組織が動き出します。そこで目的をひとつにした異なる人間の共存が成り立ち、互いの良さを引きだし合うことが出来るのです。それが日本企業が追い求めてきた真の競争力です。

科学技術の進歩が目覚ましいからこそ、人間に価値を置くことの重要性が意味を増しています。今の時代だから、人の心のありようにもっと目を向けるべきです。それがメンタルヘルスです。

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根本忠一

公益財団法人 日本生産性本部 メンタル・ヘルス研究所 特別研究員、日本産業カウンセラー協会認定シニア産業カウンセラー、国家資格キャリアコンサルタント、平成26年度文部科学省うつ病研究会 委員、日本産業カウンセリング学会 元常任理事、日本家族カウンセリング協会 前理事、一般社団法人 産業保健法学研究会 前理事。1982年明治大学商学部卒業後、民間企業を経て、1988年に(財)日本生産性本部入職。ほぼ一貫してメンタル・ヘルス研究所で、企業調査を通し産業人のメンタルヘルス研究に従事。企業以外にも労働組合や自治体、生協等にも関わる。調査分析とともに講演や執筆活動も行う。

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