組織・人事

混乱を引き起こした最高裁判決、定年退職後再雇用の待遇格差の不合理性の判断に賃金制度が関わる

定年退職後再雇用で、基本給や賞与の減額について妥当性が争われた訴訟について、「違法」とした高裁判決を最高裁が破棄し審理を差し戻した。本件の争点について解説する。(文・溝上憲文編集委員)

最高裁が原審の判断を覆し、審理差戻し

60歳の定年後、再び同じ会社で有期契約労働者として働く再雇用者の給与は下げられるのが一般的だ。しかし正規と非正規の同一労働同一賃金の観点からどこまで下げられるのか。

企業にとっては大きな関心事であるが、それを巡って争われた「名古屋自動車学校」の最高裁判決が下された。

ところが蓋を開けて見ると、原審の名古屋高等裁判所が判決を下す根拠となった「旧労働契約法20条」の解釈について「解釈適用を誤った違法がある」と叱責。名古屋高裁で再び審理を尽くせという差し戻しを命じた。 この判決には拍子抜けした人事担当者も多かったのではないか。なぜなら下級審の名古屋地裁と高裁は基本給と賞与が定年前の6割を下回る部分は違法と認定していたからだ。

事件の概要を解説、最高裁判決は世間の予想を大きく裏切る

事件の概要を説明しよう。

訴えたのは名古屋自動車学校で定年後に再雇用された教習指導員の元2人の社員。1人は定年退職時の基本給は月額約18万円、もう1人は約17万円だった。また賞与は2人とも1回あたり22~23万円だった。

定年退職後に再雇用になっても同じ教習指導員の業務に従事していたが、基本給は2人とも7~8万円になり、賞与も1回あたり7~10万円までに減った。

2人は仕事の内容は変わらないのに基本給や賞与を大幅に削減するのは、労働契約法20条が禁じる「不合理な待遇差」に当たるとし、会社に差額の支払いを求めて訴えたという経緯がある。

その結果、一審の名古屋地裁は「労働者の生活保障の観点からも、看過しがたい水準に達している」と指摘。前述したように基本給や賞与が正社員自体の60%を下回るのは不合理だとし、会社に計約625万円を支払うよう命じ、2022年3月の二審の名古屋高裁の判決もそれを支持していた。

そして判決を不服とした会社側と社員側双方が上告した。もし最高裁が上告を棄却したら高裁の判決が確定するはずだった。

ところが最高裁は会社側の上告を受理し、会社側は弁論で「一、二審が基準とした6割には根拠がない」と主張した。この時点で世間の雲行きが大きく変わり、もしかしたら最高裁は会社側の主張を認め、本件は『不合理な待遇差はない』と判断し、原審を覆す判決をするかもしれないという見方もあった。 しかし判決は世間の予想を大きく裏切る結果になったばかりか、定年前の賃金に対して再雇用後の賃金の水準をどうすればよいのかについて、ますます混乱を引き起こす事態になった。

基本給の中身の性質と目的を分析する必要性を示唆

そもそも最高裁は高裁の労働契約法20条の解釈がダメだと判断したのか。判決でこう述べている。

「その判断に当たっては、他の労働条件の相違と同様に、当該使用者における基本給及び賞与の性質やこれらを支給することとされた目的を踏まえて同条所定の諸事情を考慮することにより、当該労働条件の相違が不合理と評価するものであるか否かを検討すべきものである」

つまり、基本給や賞与について、外形的な金額の多寡で判断するのではなく、基本給の中身の性質と目的を詳しく分析して判断しろと言っている。 ところが「原審は、正職員の基本給につき、一部の者の勤続年数に応じた金額の推移から年功的性格を有するものであったとするにとどまり、他の性質の有無及び内容並びに支給の目的を検討せず、また、嘱託職員の基本給についても、その性質及び支給の目的を何ら検討していない」(判決文)と言っている。

複雑怪奇な賃金制度を分析することはできるか

では具体的にどう検討するのか。例えば基本給が純粋に勤続給だけで決まる会社であれば、再雇用者となってからの勤続年数と、同じ勤続年数の正社員の基本給を比較すればよい。同じ資格を持ち、仕事内容が同じであれば、再雇用者の基本給が低ければ「不合理な待遇差」と認定される可能性がある。

しかし、よく考えて見ると、勤続年数だけで基本給が決まっている会社を見たことがない。

伝統的な会社は職能給制度が多いが、それでも職能給以外に職務給をつけたり、あるいは「成果加算給」といったもので基本給を構成するなど、会社によって一様ではない。賃金制度は長年の慣行に基づいて支給する給与など、基本給を構成する個々の給与がどんな性質を持ち、どんな目的で支給しているのか不明の会社も多い。そもそも個々の社員の基本給がどういう理屈で支給されているのか、経営者すらも理解していない中小企業も多いのではないか。

最高裁自身も本件の自動車学校の基本給についてこう述べている。

「正職員の基本給は、勤続年数に応じて額が定められる勤続給としての性質のみを有するということはできず、職務の内容に応じて額が定められる職務給としての性質を有するものとみる余地がある。他方で正職員については、長期雇用を前提として、役職に就き、昇進することが想定されていたところ、一部の正職員には役付手当が別途支給されていたものの、その支給額が明らかでないこと、正職員の基本給には功績給も含まれていることなどに照らすと、その基本給は、職務遂行能力に応じて額が定められる職能給としての性質を有するものとみる余地もある」

最高裁自身も複雑怪奇な賃金制度の闇にはまり込んでいる。 さて、このような賃金制度について、改めて、性質・目的に基づいて判断しなさいと言われ、困るのは名古屋高裁だろう。しかし一番困るのは、判決を基準に定年後再雇用者の賃金設計しようとしていた人事担当者ではないだろうか。

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溝上憲文

人事ジャーナリスト/1958年生まれ。明治大学政経学部を卒業後、新聞、ビジネス誌、人事専門誌などで経営、ビジネス、人事、雇用、賃金、年金問題を中心に執筆活動を展開。主な著書に「隣りの成果主義」(光文社)、「団塊難民」(廣済堂出版)、「『いらない社員』はこう決まる」(光文社)、「日本人事」(労務行政、取材・文)、「非情の常時リストラ」(文藝春秋)、「マタニティハラスメント」(宝島社)、「辞めたくても、辞められない!」(廣済堂出版)。近著に、「人事評価の裏ルール」(プレジデント社)。

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