採用難と離職リスク上昇で処遇・転勤の見直し加速【人材獲得策の最新事情】

若い人材を確保するために、初任給を引き上げたり奨学金の返済を肩代わりする企業が増えている。また、社員の抵抗感が高まっている転勤制度を見直す企業も相次いでいる。 (文:日本人材ニュース編集委員 溝上憲文、編集:日本人材ニュース編集部

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あらゆる産業で初任給引き上げ競争

人手不足の中、若年層の早期離職など人材の定着が大きな課題になっている。離職の原因は待遇や人間関係などさまざまであるが、労働条件など職場環境に起因する要素があることも否定できない。

リクルートマネジメントソリューションズの「新人・若手の早期離職に関する実態調査」(2023年11月8日、入社1~3年目の社員)によると、「会社を辞めたいと思ったことがある」と回答した人は58.8%もいた。そう思った理由について聞くと「給与水準が満足できない」(19.0%)、「労働環境・労働条件がよくない」(12.3%)などを挙げる人もいる。

特に給与については敏感だ。都内の大学でキャリア教育を教えている講師は「学生に何のために働くのかと質問すると、7割が『お金を稼ぐため』と答える。以前は社会に貢献したい、自分にとってやりがいのある仕事がしたいという人が多かったが、最近の学生は待遇重視の傾向が強くなっている」と語る。

若者の意識を反映してなのかどうかわからないが、近年、初任給引き上げ競争が激化している。2023年は電機、メガバンクをはじめあらゆる産業で初任給引き上げが相次いだが、24年度もこうした傾向が続いている。例えばメガバンクの初任給はこれまで大卒で20万5000円の横並びが続いたが、23年に三井住友銀行が25万5000円に引き上げ、24年4月にみずほ銀行が26万円、三菱UFJ銀行が25万5000円に引き上げた。

その動きは全国に波及し、地方銀行も追随する。京都銀行が26万円に引き上げるほか、横浜銀行、福岡銀行や西日本シティ銀行など各行は25年度から26万円に引き上げる予定だ。さらに九州フィナンシャルグループは大学・大学院卒の初任給を24年度に28万円に引き上げ、25年度に30万円にする方針を決めている。

大手電機メーカー各社も23年度に23~24万円に引き上げた。ゼネコンも鹿島が24年4月に大卒初任給を3万円引き上げ、28万円に引き上げた。大林組も28万円に引き上げるなど業界横並びの引き上げが続く。

生命保険業界でも第一生命ホールディングスは、24年4月入社の全国転勤型の総合職の初任給を約4万5000円引き上げ、固定残業代込みで32万1000円に引き上げた。日本生命も全国転勤型の総合職と営業総合職の職員を対象に初任給を基本給ベースで24万1000円。明治安田生命も基本給で24万円、住友生命も23万5000円に引き上げた。さらに住友生命は25年度は2万5000円引き上げ、26万円にする予定だ。

人材獲得のための初任給の引き上げの波は多くの業界にも及んでいる。

初任給の増加率が32年ぶりに全学歴で3%超

●2024年4月入社者の学歴別初任給額

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(一律)は職種やコースなどで初任給額を区分していない場合。(格差あり)は区分している場合で最高・最低それぞれの平均額
(出所)産労総合研究所「2024年度決定初任給調査」

奨学金の返済を肩代わりする企業が増加

初任給の引き上げだけではなく、大学などの奨学金を肩代わりする企業も増加している。

日本学生支援機構(JASSO)は2021年4月から企業の「奨学金返還支援(代理返還)制度」を実施している。この制度を利用する企業は24年5月末までに2000社を超え、前年同月比の2倍以上に増加している。この制度は企業が直接機構に送金すれば、返還額は社会保険料や所得税の対象ではなくなるというメリットもある。また、返還額は法人税控除の適用を受けられる場合もあり、企業にとっても若手人材の定着促進だけではなく、税制上のメリットもある。

物流業の山九は入社10年以内の社員を対象に1年ごとに18万円、在籍年数に応じて最大10年間の奨学金返済を支援する制度を24年度から始めている。綜合警備保障は24年10月から新入社員や入社5年以内の若手社員を対象に月額最大1万8000円を支援する制度をスタートする。年齢や等級などで上限は定めるが、中途採用の社員も利用できる。グループ会社を除く約2000人が対象になるという。

九電工も専門学校や大学を24~26年度に卒業した新卒入社の希望者全員を対象に、最大10年の期間に月額1万5000円を上限に支援する。青山商事も2025年度以降、新卒採用の社員を対象に入社した翌年の4月から年1回12万円、最大5年で60万円を支援する制度を導入することにしている。

多くの学生が貸与型の奨学金を受け取っており、返済が大きな問題となっている。いずれの企業も奨学金の返済を肩代わりすることで、処遇の向上と定着率向上につなげたいとの狙いがある。

就活生の約半数が転勤がある企業を回避

労働環境の改善で最近注目されているのが転勤制度の見直しだ。転勤がある企業を嫌う就活生や在職者が近年増えている。

パーソル総合研究所の「転勤に関する定量調査」(2024年5月30日公表)によると、就活生の19.4%が「転勤がある会社は受けない」と回答し、「転勤がある会社にはできれば入社したくない」が31.4%。計50.8%が応募・入社を回避したいと答えている。また、「転勤は嫌だが、他の条件がよければ問題ない」が28.0%もおり、就活生のほぼ8割が転勤嫌いという結果になっている。

中途入社意向のある社会人調査でも「転勤がある会社は受けない」と回答した割合は24.9%、「転勤がある会社にはできれば入社したくない」が24.8%。計49.7%が応募・入社を回避したいと答えている。「転勤は嫌だが、他の条件がよければ問題ない」を含めると同じく80%を超えている。

4割弱の社員が「不本意な転勤なら辞める」

求職者だけではない。転勤がある企業の総合職の社員に転勤の受諾意向を聞いたところ、18.2%が「どのような条件であっても転勤は受け入れない」と回答し、63.4%が「転勤の条件しだいで受け入れる」と答えている。また、不本意な転勤による離職意向では、37.7%が「不本意な転勤を受け入れるぐらいなら会社を辞める」と答えている。

こうした傾向は他の調査でも同じだ。エン・ジャパンの「『転勤』に関する意識調査」(2024年5月7日)によると、転勤の辞令が出た場合、退職を考えるきっかけになるかという質問に、「なる」と回答した20代は43%、「ややなる」が25%。この傾向は30代、40代以上でも変わらない。実際に転勤の辞令を受けたことで退職した人が31%に上っている。

転勤を嫌う理由としては、新しい土地での適応が大変だという理由や、共働きであることや進学期の子どもなど子育て中であること、親の介護などが多い。しかし、それでも昔は本人の意向に関係なく、会社の命令で転勤せざるを得なかったが、今は大きく変化している。従来型の転勤のやり方では人材の確保や定着に重大な支障を来たすことになり、企業の危機感も強くなっている。

大手サービス業の人事課長は「会社の転勤の方針に抵抗感が高まっている。いつまでも転勤の仕組みを堅持するのは難しく、人材流出を抑えるための方針転換が求められている」と危機感を露わにする。

世代を問わず、転勤に対する抵抗感は高まっている

● 転勤に関して不安に思うこと/ライフステージ別(上位5項目)

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赤字は各ライフステージに特徴的な項目(全体の上位5項目に入らないもの)
(出所)パーソル総合研究所「転勤に関する定量調査」

NTTグループは転勤・単身赴任を原則廃止

人材確保や流出に危機感を抱く企業では転勤制度の廃止を含む見直しを行っている。

2020年7月にカルビーは業務に支障がないと上長が認めた場合、単身赴任者が家族の居住地に戻ることができる「単身赴任の解除」を打ち出し、10月にはJTBも転居を伴う転勤が命じられても本人の希望と会社の承認を前提に転居せずにテレワーク勤務ができる「ふるさとワーク」を導入している。

話題となったのはNTTグループの「転勤・単身赴任」を原則廃止だ。テレワーク可能な環境を整備し、社員の居住地制限を撤廃し、地方に住みながら本社業務が可能になる制度導入の方針を打ち出している。

SOMPOひまわり生命は、出産、育児、介護、本人または家族の病気などで転居を伴う転勤が一時的にできない場合、免除する「転居転勤免除制度」を導入。使用回数の上限は2回(40歳以上の社員は1回)とする。

また、カゴメも家庭の事情で現在の勤務地から転勤したくない場合、一定期間勤務地を固定する「転勤回避制度」や、本人の希望する勤務地ではない場合に希望勤務地へ転勤できる「配偶者帯同転勤制度」を設けている。

銀行・生保各社は転勤手当や住宅補助を拡充

できるだけ本人の意向に沿うために、テレワークなどを活用し、人材の確保と定着に努めている。しかし業界によっては組織運営上、転勤が不可避の企業もある。

小売業の人事担当者は「欠員が発生した場合の要員の補充のために転勤が必要だ。人の異動による新陳代謝によって組織の活性化も図れるほか、転勤による店舗の異動によって広い視野を持った人材育成のために必要だ。テレワークが増加しているとはいってもフルリモートでできる職種は限られる。対面や現場でしかできない職種もあり、転居を伴う転勤は避けられない」と語る。

転勤を嫌う人をその気にさせるために「報酬」を上乗せする企業も増えている。全国各地に支店を配置し、転勤が常態化している銀行や生保が手当の増額に乗り出している。

三菱UFJ信託銀行は23年10月から引っ越しを伴う転勤者に一律50万円を支給。みずほ銀行は、24年4月から社員が家族帯同で転勤する場合、一時金を15万円から30万円に増額。単身赴任者も8万円から24万円、独身者も8万円から15万円にそれぞれ増額。そのほかに転勤手当も増額している。

明治安田生命も24年4月から転居を伴う異動に50万円支給するほか、単身赴任手当を月額3万6000円から5万円に引き上げ、住宅補助も拡充している。

前出のエン・ジャパンの調査では、転勤の辞令が出た場合、条件付きで承諾する人の割合が42%。最も多い条件は「家賃補助や手当が出る(72%)だった。そうしたニーズに対応した労働環境の改善が求められているといえる。

企業の処遇を含めた福利厚生制度のあり方は時代とともに変化する。企業の成長戦略と従業員の働き方の意識の変化に応じた「戦略的福利厚生」がより重要になっている。

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溝上憲文

人事ジャーナリスト/1958年生まれ。明治大学政経学部を卒業後、新聞、ビジネス誌、人事専門誌などで経営、ビジネス、人事、雇用、賃金、年金問題を中心に執筆活動を展開。主な著書に「隣りの成果主義」(光文社)、「団塊難民」(廣済堂出版)、「『いらない社員』はこう決まる」(光文社)、「日本人事」(労務行政、取材・文)、「非情の常時リストラ」(文藝春秋)、「マタニティハラスメント」(宝島社)、「辞めたくても、辞められない!」(廣済堂出版)。近著に、「人事評価の裏ルール」(プレジデント社)。

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