ホワイトカラー人材紹介事業で唯一上場しているジェイ エイ シー リクルートメントで、1日、松園健氏が新社長に就任した。組織改革によって業績を立て直した後の就任である。松園氏にリーマン・ショックを乗り切った同社の経営改革と今後の抱負を聞いた。
ジェイ エイ シー リクルートメント
松園 健 代表取締役社長・COO
1958年1月3日生。広島県出身。2008年、ジェイ エイ シー リクルートメント営業副本部長。2009年、同社営業本部長・専務取締役。2011年、同社代表取締役社長・COO就任。
2008年に同業会社の役員から転進されていますが、いきなりリーマン・ショックという難しい局面になりました。
2008年9月のリーマン・ショック直後の11月に、営業副本部長として当社に入社しました。入社直後のリーマン・ショックの影響で、トヨタ自動車を始めとする多くの企業の採用が止まり、業界各社の売上が半分になってしまったことを鮮明に記憶しています。
翌年の3月に、専務取締役営業本部長に就任し、営業の実質的な責任者として業績の建て直しに取り組み始めました。一連の業績の建て直しに道筋がついたことから、この1月から代表取締役社長・COOに就任することになりました。サブプライム問題が2007年秋から起きており、当時から求人は下降トレンドに入っていました。それまで、新卒採用を含め積極的な拡大を行っていましたが、新卒採用はサブプライム問題が顕在化する以前に行われていたために余剰人員の問題を回避できなかったのです。
無論、こうした課題があることは入社前から認識していました。個人的には、03年以後、業界全体がコンサルタントさえ増やせば、売上が伸びるという異常な状態が続いていましたので、人材紹介業のバブルが続いていたと考えています。
いずれ、絶対に人材紹介業の真価が問われるフェーズがくることは分かっていましたが、これがリーマン・ショックで否応無く厳しい局面に立たされてしまったということです。今回の世界同時不況は、予想をはるかに超える出来事でした。
経営陣の間では、どのような話し合いが行われて、どのような改革を実行したのですか。
ここに至る2年間は、苦渋の決断が続きましたが、前社長の田崎ひろみ(現代表取締役会長・CEO)を中心に、執行役員を含め、かなりの時間を費やし議論しました。事業推進のために経営陣が絶えず相談しながら、非常にスピーディーに改革を進めることができました。
議論の中で、当社のビジネスのコアは、「創業者でもある田崎がコンサルタントとして事業を立ち上げた時の思いと長年掛けて培ったやり方が当社における人材紹介の原点であり、一人ひとりのコンサルタントが企業とキャンディデイトの両面を担当することで、ミドルマネジメント、スペシャリスト、インターナショナルという独自のポジションの人材紹介で高いクオリティを発揮していることが強みである」という結論に達しました。
そこで、これまで中心だった求人企業とキャンディデイトを別々のコンサルタントが担当する分業方式による人材紹介コンサルティングから、双方を一人のコンサルタントが担当する両面型に原点回帰しようということを再確認しました。より求人案件と企業への理解度を深く持ち、コンサルタントの専門的な能力を高め、かつキャンディデイトのキャリアをサポートできるような紹介を目指すことにしたのです。
当社は、03年にコンサルティングの体制を両面型から分業型へ大きく転換しています。当時のマーケットと景況感等に後押しされて、分業型に移行して業績を拡大し、06年にジャスダックに上場することができました。そして、その後も好調に推移していきました。
一方で、当社が本来得意とする部分を曲げて、急拡大してきたともいえます。新卒社員を大量採用する中で、プロフェッショナル性が薄まっていたのです。分業型での成功体験が圧倒的に強い中で、すでに両面型のコンサルティングの経験者は少なくなっており、組織改革には大きな経営判断を迫られることになりました。連日、深夜まで幹部で議論を繰り返し、09年9月から様々な組織改革を進めました。分業型で成功体験を持つ組織を、両面型に切り替えるには、大変なエネルギーが必要でした。
なぜ改革を断行できたかというと、当時、創業者でもある田崎がこの難局にあって社長に就任しており、その意思決定のスピードと明確な事業軸があったからなのです。問題の核心をよりリアリティを持って理解していたことが非常に大きく作用しました。
普通でしたら、上場企業の根本からその仕組みを変えることは、株主に対しての責任があり、勇気がいることで、怖いものです。組織改革のための再生計画を立て、後は社長に意思決定してもらうだけでしたが、非常にスピーディーに決断が下され実行できています。葛藤はありましたが、新しい組織づくりについては全くぶれませんでした。とにかくこの期に、徹底的に膿を出し切ろうという気概で改革に取り組みました。
素早い改革には、ついてこられない社員もいたのではないでしょうか。
両面型のコンサルティングに慣れるために、これまではあまりなかった人事異動を部・支店間、担当産業間で適材適所を意識して行いました。環境によって人間は一番変わりますので、仕事を変えることで、まず業務変革の現場に身をおいてもらうことにしました。
これまでは、企業を担当する営業と転職者を支援するCC(キャリア・コンサルタント)の二つの業務に分かれていました。それを一人で双方(企業と転職者)を担当するRC(リクルーティング・コンサルタント)へと変更しました。
ただし、マーケットの特徴とコンサルタントの適正を考慮し、従来の体制から配置を決めるという段階的なプロセスを運用したため、組織の歪みというリスクを解消いたしました。あくまでもマーケット見合いの体制整備ということがポイントです。
それ以外の改革は、どのように進めたのでしょうか。
一般的ではありますが、「選択と集中」を進めています。これまでは、業界大手のトップランナー各社に売上で追いつけ追い越せという姿勢で事業を拡大してきました。しかし、ブランディング、コンサルタントの採用、システム投資など、同じようなビジネスモデルでは、到底追いつくことはできませんし、何よりも独自性に欠けることを再認識しました。
そこで、マーケットをポートフォリオ分析し、当社にとって優位に立てるところはどこかを明確にし、強みを集中して伸ばすようにしました。人材紹介業の価値を純粋に追及することで、企業との濃密な関係を重視できる組織になり、さらに独自のポジショニングを意識して事業を変革していくことを考えました。
その結果、対象とする人材ポジションのリフトアップが進み、過去と比べ、生産性が向上してきました。 組織の目標としては、プロダクティビティ、プロフィタビリティ、プロフェッショナル、そして海外案件を成長させようというインターナショナルという、“PPP&I”をスローガンとして掲げています。中でもプロフェッショナルでは、「求人成約率」と「登録者当決率」(候補者の決定率)を高めることを指標にしています。
今年の中途採用の環境はどうでしょうか。
昨年は3月~4月に時期的な側面から反転が起こりました。日系企業は3月決算でコストカット、人員削減が予想以上に進み、当初より利益が上がったため、駆け込み採用需要があったと考えています。外資系も2010年新年度に入り採用予算がついたことも影響しています。
夏場前後より円高や株価低迷が進み、採用は横ばい傾向でしたがなだらかには伸びました。今年もこの傾向は続き、当面は、なだらかな上昇基調で推移すると考えています。外資系が採用を再開しているほか、各業種で採用が本格化し始めました。グループのあるアジア圏は沸騰しています。各国と比べて政治のリーダーシップの差が大きく、日本だけが置き去りになっている感があります。今後、為替・株価の問題が改善してくれば、中盤以降から少しは上向くと考えています。
インターナショナルでは、日系企業の海外進出にともなった求人案件は圧倒的に多くなっていますし、英語力や国際会計のIFRS導入に伴うニーズなども更に高まります。
社長に就任した抱負を聞かせてください。
この2年間は、失ったものも多かったのですが、いろいろなことを考えさせられた期間でした。結果、人材紹介の原点に立ち返り、組織が筋肉質になりましたし、根底にある事業推進の志をもってこれからも頑張りたいと考えています。
今回の世界同時不況の中で、人材業界から思いのある優秀な人材が多数流出してしまったことは、本当に痛恨の極みでした。人材ビジネスの経営に携わる方が、皆、同様に考えているように一刻も早く業界を健全な状態にし、優秀な人材がもう一度戻って来たくなるようにしたいと思っています。最後に、一人ひとりが人材紹介の本来の価値を追及し、それを具現化したいと考える多くの人が活躍できるような会社を作りたいと考えています。