「日本型雇用」の特徴―終身雇用、年功序列、企業内労組―は長らく日本の社会と経済の礎を成してきました。
しかし、バブル経済の崩壊後の「失われた30年」を経て、これらの伝統的な概念は未曽有の試練に直面しています。
本稿では、日本の労働法と人材マネジメントがどのように進化し、現代の挑戦にどう応えているのかについてKKM法律事務所の倉重公太朗弁護士に解説してもらいます。(文:倉重公太朗弁護士、編集:日本人材ニュース編集部)
労働法による日本の人材マネジメントへの影響
労働法の視点から日本の人材マネジメントを検討する際、終身雇用・年功序列・企業内労組という日本型雇用の特徴を踏まえる必要があります。
そして、労働法が日本型雇用を形作る要素としては、
①解雇権濫用法理
②広範な配置転換
③不利益変更法理
④労働時間法制
が挙げられます。
本稿では、日本の人材マネジメントの中で労働法理がどのように形成されてきたかを概観し、バブル崩壊後失われた30年における労働法を取り巻く状況変化、そして現代的な課題を俯瞰することにより、労働法が日本の人材マネジメントにどのような影響を与えているかを検討します。
①解雇権濫用法理
そもそも、雇用関係については、私法の一般原則である民法において規定されており、そちらでは「当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申し出をすることができる。」(民法627条1項)として解雇自由がむしろ原則となっていました。
他方で、私法の特別法たる労基法においては、30日前の解雇予告(若しくは予告手当の支払い)という手続について定めるのみであり(労基法20条1項)、どのような場合に解雇できるかという解雇の実態的要件については規定が存在しませんでした。
つまり、法律上、解雇要件を明示的に定めた規定が存在しませんでしたが、判例により、解雇については、客観的合理的理由及び社会通念上の相当性が必要という解雇権濫用法理が確立されるのです。なお、「法理」とは、法律そのものではないが、判例の蓄積により実務的なルールとなっている裁判所が鼎立した規範のことを指します。
この、解雇権濫用法理が確立した時代背景は、昭和の高度経済成長期、人口・経済が右肩上がりであり、終身雇用・年功序列が当たり前の時代でした。裁判所は、そんな時代背景を次のように表現しています。
「わが国の労働契約関係には賃金その他の労働条件が終身雇傭を前提として定められている等、特殊な事情が存在することに鑑み、解雇が使用者の合理的な企業運営上果すべき本来の機能を逸脱し労働者を不当に圧迫するにいたるのを抑制する必要がある」(シンガー・ソーイング・メシーン解雇事件 東地判昭42.8.9)
「日本の労働市場は非流動的であり、嘗ては使用者に圧倒的に有利であつたのみならず、労働組合の団結及び交渉力は充分でなく、長期雇傭を前提とした年功序列賃金及び多額の退職金制度が一般に採用されている関係上、老若男女を問わず一旦解雇された労働者は、賃金、職務上の格付、退職金の算定等も含め同等又はそれ以上の労働条件を獲得して直ちに他に雇傭されることが困難であつて、解雇により生活上著しい打撃を受ける。こゝにおいて裁判所は労働者のかゝる事情と使用者の主張する企業経営上の要請とを比較考量して、そこに日本社会において妥当な一線を画すべく、解雇自由の原則に対しこれらの法理による制限を敢て加えたのである。」(シンガー・ソーイング・メシーン(家屋明渡)事件 東京地判昭44.5.14)
つまり、日本の人材マネジメントとして行われてきた終身雇用の観点からは、労働者を企業から追い出すのはよほど例外的な場合であるべきだとの考え方により、解雇権濫用法理が形成されたのです。
そして、判例により確立された解雇権濫用法理は平成20年より、労働契約法16条として法制化され、現在に至ります。そのため、日本の人材マネジメントとしては解雇要件が厳しく、解雇に踏み切るケースは懲戒解雇のケースなどを除いて少なく、その代わり希望退職募集や退職勧奨が実務的に多く行われるようになり、後の追い出し部屋等の問題へ繋がっていきます。
②広範な配置転換
厳格な解雇規制とトレードオフの関係として、配置転換等の人事権については、不当な動機目的や著しい不利益が労働者に存在しない限り、企業に広範な裁量が認められています。
これは、メンバーシップ型雇用において職種を定めず(職種無限定)、様々な職種に配置転換させてきた日本の人材マネジメントの特徴であり、解雇との関係で言えば、内部労働市場で配転による雇用維持の可能性があるのならば解雇は認めない(整理解雇における解雇回避努力義務)、という関係になります。
転居を伴う転勤を含めて、配置転換が判例上も広く認められるということが、企業における内部労働市場の発達と外部労働市場の非流動性に繋がっていきます。この点は、ジョブ型人事制度が広く検討されはじめ、労働市場整備の重要性がようやく認識され始めた現代の人材マネジメントにおいて、広範な人事権(及び厳しい解雇規制)とどのように折り合いを付けるのかという点が課題となっています。
③不利益変更法理
現在は労働契約法10条として規定されている就業規則の不利益変更法理も、元々は高度経済成長期以降の判例をベースとした考え方です。
判例では、労働条件を一方的に変更することについて、「労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として許されない」としつつ、「労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって、当該規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒むことは許されない」として不利益変更を認めています。
ただし、「賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容」であることを要し、この合理性は「就業規則の変更によって労働者が被る不利益の程度、使用者側の変更の必要性の内容・程度、変更後の就業規則の内容自体の相当性、代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況、労働組合等との交渉の経緯、他の労働組合又は他の従業員の対応、同種事項に関する我が国社会における一般的状況等を総合考慮して判断」されます。
不利益変更法理についても、解雇権濫用法理と同様に、昭和の高度経済成長期、人口増・経済増の時代背景で、年功序列の下、定年まで過ごすのが当たり前であり、基本的には給与が下がらないという高度経済成長期の人材マネジメントを踏まえた内容となっています。人事として、不利益変更が法的に許容されるかの見通しを立てることは困難であり、これが賃金制度変更を機動的に行うことができない要因となっています。
④労働時間法制
1日8時間、1週40時間という労働時間の原則や割増賃金に関する定めなどは、明治時代の工場法から続く日本型雇用システムの伝統です。工場法の制度趣旨は、それまで国家的な規制がなく、劣悪な環境に置かれ、結核や長時間・深夜労働により健康を害していた工場労働者の労働環境を改善し、生命身体の安全を確保しつつ、労働条件の改善を目指すものでした。
確かに、明治時代の工場労働は悲惨な環境であり、これを公権力により規制する必要は高く、工場労働者の身体的疲労という意味では、現代でも同様に認められます。
しかし、1時間働けば1時間分のものが生産される工場労働とは異なり、ホワイトカラーの場合は、1時間多く働けば、必ず1時間分の成果が出るわけではなく、むしろ短時間で集中した時の成果の方が優れている場合もあります。また、テレワークやワーケーションなど、当時の工場法が全く想定していない働き方も現代では行われています。
現在の労働時間法制は、時間単位で生産価値を評価する考え方であり、これをすべての労働者に適用していることが現実との不整合を生む原因となっています。もちろん、長時間労働による過労死や健康被害はあってはならず、これを防止するための安全衛生等の規制は必要です。
しかし一方で、テレワーク等の新しい働き方は工場法から続く現在の労基法が全く想定していなかった働き方です。特に、年収が高いホワイトカラーについては、時間単位の割増賃金の考え方を適用するのが常に正解とは言い難いです。
この点で参考になる裁判例としてモルガン・スタンレー・ジャパン(超過勤務手当)事件(東京地判平17・10・19)が挙げられます。同事件は管理監督者でも裁量労働制でもない労働者の残業代請求事案であり、年によっては数千万円の年収があった者という前提です。
裁判所は、法的理屈はさておき、基本給の中に残業代が含まれているとの判断を示しました。つまり、一定以上の収入があるホワイトカラーの場合、労働時間で報酬を計る仕組みが当てはまらないことは裁判所も認めるところです。
新しい働き方において、労働時間法制はどうあるべきか、後述する働き方改革やキャリア自律との関係で、労働時間法制もまた、日本型雇用システムを形作る重要な一要素です。
倉重公太朗(弁護士)
KKM法律事務所 代表弁護士/KKM法律事務所 代表弁護士。経営者側労働法を多く取り扱い、労働審判・仮処分・労働訴訟の係争案件対応、団体交渉(組合・労働委員会対応)、労災対応(行政・被災者対応)を得意分野とする。企業内セミナー、経営者向けセミナー、人事労務担当者・社会保険労務士向けセミナーを多数開催。著作は20冊を超え、近著は『HRテクノロジーで人事が変わる』(労務行政 編集代表)、『なぜ景気が回復しても給料が上がらないのか』(労働調査会 著者代表)等。
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