「整形退職」に悩む34歳のMRの頭の中とは【だから社員は辞めていく】

「優秀な社員ほど、退職理由を語らない」 「引き留めようとしても、すでに転職活動を進めている」——人事担当者や管理職の方から、こうした声をよく聞きます。一方でこんな声も聞きます。「社員が語らないのではなく、語る相手を選んでいるだけ」

退職面談では語られない本音が、転職面接では別の形に「整形」されて語られている。その事実に、多くの企業は気づいていないのです。

今回は、MR経験11年・34歳のKさんと、キャリア相談者・佐野創太氏との相談の様子を通じて、退職を考える社員のリアルな心境と思考プロセスを佐野氏に連載で解説してもらいます。

佐野氏は退職学(R)(resignology)の研究家としてこれまでに1500人以上のキャリア相談を実施し、20〜50代の幅広い社員の本音に触れ続けています。その経験を『脱会社辞めたいループ』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)などの著書にまとめています。他にもエース社員の退職を防いで「選手層の厚い組織づくり」を支援したり、オウンドメディアや採用広報などの情報発信の生産性と創造力をあげるAI編集長としても活動しています。

働く人、組織作り、事業開発の3つの視点を持っています。 Kさんの相談からは、社員が行う「整形退職」の実態が浮かび上がってきました。なぜ社員は退職理由を「整形」するのか。その整形は、いつ、どのように行われるのか。その思考プロセスを詳しく見ていきましょう。ひとりの社員の生き方は、大規模なデータにも匹敵するほどの示唆をくれます。(文:佐野創太、編集:日本人材ニュース編集部
※プライバシー保護のため、相談者の名前・性別・年齢・所属企業名等は編集しています。

日本人材ニュース


社員は「生命維持産業」で自分の安心を求めている

2週間後に控えたグローバル製薬会社の面接に向けて、Kさんは志望動機を整理していました。前の製薬会社を半年前に退職し、現在はヘルスケア業界でマーケティング職に就き、再びMRに戻ろうとしているのです。

「なぜ医薬品の営業がしたいんですか?」

私(佐野)が尋ねると、Kさんは答えました。

「将来に強い不安を持つタイプなんです。だから、何が起きても必要とされる産業で働きたいと思って」

Kさんは新卒の就職活動の時もそうでした。インフラ、鉄鋼、酸素メーカー、そしてヘルスケア業界を比較検討しました。選択軸は「どんな経済状況でも、根幹を支える仕事」。その中からMRを選んだのです。

「親が自営業で、命を削って働いている姿を見てきました。景気に左右されて、仕事がなくなるかもしれないという不安を常に抱えていて。だから不安定さから遠ざかりたかったんです」

Kさんにとって製薬業界は、単なる「やりがいのある仕事」ではなく、「自分の生活の安心を保証してくれる場所」でした。「生命維持産業」に身を置くことで自分の生活基盤を守る。最も責任が重いと感じたMRを選ぶことで、「これができるようになったら、自分は強くなれる」という成長への期待もありました。

入社して10年あまりが経過した今、そのモチベーションは変化していました。

「MRという仕事で成長できるから頑張る」という軸は、もうあまりないと彼女は言います。代わりに強くなったのは「製薬会社にいることで社会貢献ができている」という実感でした。 ここに企業側が見落としがちな点があります。「生命維持産業で働くことへの誇り」が、必ずしも「この会社で働き続けたい」という帰属意識に直結しないということです。

Kさんは製薬業界には残りたいと考えていますが、それは特定の企業への忠誠心ではありません。「生命を支える産業にいることの価値」を重視しているからです。

「チーム戦」への転換が退職スイッチになる

「前の製薬会社を辞めた理由は何だったんですか」

「営業の数字を持てないと思ったんです。リモートMRで貢献したいと思いました」

Kさんは製薬会社に対する誇りは持ち続けていましたが、MRとしての営業活動に限界を感じ、一度は離れて今はマーケティング職に従事しています。

再びMRに戻ろうとしています。しかし、彼女自身、「なぜMRに戻るのか」という問いに明確な答えを持てずにいました。

「本音を言うと、福利厚生と年収が理由です。全国どこに住んでも家賃補助があって、車もあって。でも、それだけを面接で言ったら落ちますよね」

多くの転職希望者が本音を隠す中で、Kさんは自分の本音を認識していました。同時に、退職理由を「整形」しなければならないというプレッシャーも感じていたのです。

「面接では、製薬企業への貢献とか、チームで成果を出すMRになりたいとか、そういう理由を語らないといけないと思っています。でも、それって本音なのか、整形したロジックなのか、自分でもわからなくなってきて」

この葛藤こそが、「整形退職」が行われる瞬間です。社員は本音を持っている。その本音は面接では語りにくい。企業が受け入れやすい顔に整形する。この整形作業が、退職面談でも転職面接でも、社員の本音を見えなくします。

「一人で頑張れと言われる環境だったら、正直、自信がありません。でも、チーム戦ができる環境なら、自分は貢献できると思います」

この「チーム戦への転換」が、Kさんの退職スイッチでした。前の製薬会社では、一人で数字を追うMRとしての働き方を求められた。30代になったKさんにとって、それはもう自分に合っていない。だから退職した。今、チーム戦ができる環境を求めて、再びMRに戻ろうとしているのです。

この「チーム戦がしたい」という本音は、そのままでは語られません。なぜなら、それは「一人では成果を出せない」と聞こえるリスクがあるからです。Kさんは、この本音を「製薬企業への貢献」「社会貢献への想い」という形に整形して、面接で語ろうとしていました。 企業が知りたい整形前の気持ちは、どこで見ることができるのでしょうか。

退職理由をどう「整形」されるのか

キャリア相談の終盤、Kさんは打ち明けてくださいました。

「本音と面接で語るべきことのズレに、ずっと悩んでいるんです」

彼女の本音は明確でした。福利厚生が充実していて、全国どこに住んでも家賃補助がある。生命維持産業である製薬会社で働くことに誇りを持てる。一人ではなくチームで成果を出せる環境が欲しい。それがMRに戻る理由でした。

転職面接では「なぜMRなのか」を論理的に説明する必要があります。Kさんは退職理由を整形する作業を進めていたのです。

整形前の本音: 「福利厚生と年収が欲しい」 「一人で数字を追うのが辛い」 「チームで働きたい」

整形後の退職理由: 「製薬企業で最も貢献できる役割がMRだと考えています」 「生命維持という社会的価値の高い仕事に携わりたい」 「チームで成果を出すMRを目指したい」

これらは嘘ではありませんが、本音の全てでもありません。Kさんは、本音の中から「面接で語っても大丈夫な部分」を選び出し、それを論理的に組み立てて退職理由を整形します。

退職面談で人事が聞く理由も、実は同じ構造を持っています。社員は既に次の会社の面接を想定して、自分の退職理由を整形しています。退職面談で語られる理由は、整形途中のバージョンなのです。

「一身上の都合」「キャリアアップのため」「新しい挑戦がしたい」——これらの退職理由は、確かに嘘ではありません。しかし、本音の全てでもありません。その裏には、「福利厚生が欲しい」「チーム戦がしたい」「一人で数字を追うのが辛い」という、整形前の本音が隠れているのです。 それは企業にとっては「そんな理由なら辞めていただいて結構」と映るものも多いです。しかし、会社を存続させる時に「どこまでの退職理由は防げるのか」の線引きが求められます。整形前の退職理由を知ることは、この線引きをする確かな材料となります。

おわりに

Kさんの相談を通じて見えてきたのは、「整形退職」という現象です。言われてみれば自然なことです。本音は話す本人ですらわかっていないこともあります。転職活動をしていれば、時期によって変わるものですらあります。

だからこそ「いま聞いている退職理由は整形前なのかどうか」「この調査で得られた退職理由のどこまではサポートすべき退職なのか」を見極める工程が必須です。

社員は、本音を整形します。その整形手術は、転職活動の準備過程で行われます。応募書類を書き、面接対策を考える中で、社員は初めて自分の本音を言語化し、それを企業が受け入れやすい顔に作り変えていくのです。

もし企業が社員の本音に触れられる機会は、退職面談でも送別会でもありません。その一点では語れないのが、本音です。もっと早い段階でキャリアについて対話する機会を設ける。点ではなく線で見えてくるものが、退職理由です。

「なぜこの仕事を選んだのか」「今、何にやりがいを感じているのか」「5年後、どんな働き方をしたいと思っているのか」。こうした問いを、日常的に投げかけることができる組織文化こそが、優秀な社員の離職を防ぐ鍵を握っています。


佐野創太

1988年生。慶應義塾大学法学部政治学科卒。大手転職エージェント会社で求人サービスの新規事業の責任者として事業を推進し、業界3位の規模に育てる。 介護離職を機に2017年に「退職学®︎」の研究家として独立。 1400人以上のキャリア相談を実施すると同時に、選手層の厚い組織になる”リザイン・マネジメント(Resign Management)”を50社以上に提供。 経営者・リーダー向けの”生成AI家庭教師”として、全社員と進める「ゼロストレスAI術」を提供する他、言葉を大切にするミュージシャン専門のインタビュアーAIを開発している。著書に『「会社辞めたい」ループから抜け出そう!』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)がある。


【佐野創太氏のこれまでの連載】

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佐野創太

1988年生。慶應義塾大学法学部政治学科卒。大手転職エージェント会社で求人サービスの新規事業の責任者として事業を推進し、業界3位の規模に育てる。 介護離職を機に2017年に「退職学®︎」の研究家として独立。 1400人以上のキャリア相談を実施すると同時に、選手層の厚い組織になる"リザイン・マネジメント(Resign Management)”を50社以上に提供。 経営者・リーダー向けの”生成AI家庭教師”として、全社員と進める「ゼロストレスAI術」を提供する他、言葉を大切にするミュージシャン専門のインタビュアーAIを開発している。著書に『「会社辞めたい」ループから抜け出そう!』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)がある。

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