このままだと切られる——「透明な退職恐怖」に怯える時短勤務の元エンジニアの胸の内【だから社員は辞めていく】

「まるで別人だ」

復職した社員を前にして、戸惑いを隠せない会社は多いです。具体的にはこんな本音を抱えています。「時短勤務の社員が成果を出せていない。どうサポートすればいいのか分からない」「復職した社員のモチベーションが以前と違う気がする。でも、何が原因か本人も言葉にできないようだ」——人事担当者や管理職の方から、こうした声をよく聞きます。

育児や介護で働く時間に制約ができた社員は、何を感じ、どんな不安を抱えているのでしょうか。今回は、大手電機メーカーで事業企画を担当するTさん(30代後半・女性)と、キャリア相談者・佐野創太氏との相談の様子を通じて、退職を考える社員のリアルな心境と思考プロセスを佐野氏に連載で解説してもらいます。

佐野氏は退職学®︎(resignology)の研究家としてこれまでに1500人以上のキャリア相談を実施し、20〜50代の幅広い社員の本音に触れ続けています。その経験を『脱会社辞めたいループ』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)、『転職・退職を考えたら知りたいことが全部のってる本』(主婦の友社)などの著書にまとめています。他にもエース社員の退職を防いで「選手層の厚い組織づくり」を支援したり、オウンドメディアや採用広報などの情報発信の生産性と創造力をあげるAI編集長としても活動しています。働く人、組織作り、事業の3つの視点を持っています。

Tさんは相談の中で「成果が出せないと切られちゃうんじゃないか」という言葉を口にしました。声を荒げるわけでも、涙を流すわけでもない。ただ静かに、しかし確実に、退職への恐怖が積み重なっていく。その背景には「時間破産」とも呼ぶべき構造的な問題がありました。(文:佐野創太、編集:日本人材ニュース編集部
※プライバシー保護のため、相談者の名前・性別・年齢・所属企業名等は編集しています。

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なぜ社員は「時間を破産」させるのか

「自分は時間で成果を作ってきたんだなと、身にしみて感じています」

相談の冒頭、Tさんは静かに話し出しました。

大手電機メーカーA社でシステムエンジニアとして約8年。その後は事業企画へと異動し、出産前までは朝8時半から夜21時頃まで働く日々だったといいます。

「出産する前は本当に仕事を一番に考えていて、好きなだけ働いていました。自分の時間があったから、成果を出していたんです」

多くの社員は、長時間働くことと成果を出すことを無意識に結びつけています。Tさんはすでにその構造を言語化できていました。しかし皮肉なことに、こうした気づきが訪れるのは、時間という資源を使えなくなったときなのです。

復職して約1年。2歳のお子さんを保育園に預けながら、時短勤務で働くTさん。かつての12時間労働から、今は約6時間。体感では「4分の1くらいの労働時間になった」と話していました。

「残業すればいいとか、土日の時間を使えばいいとか、そういう考え方がもうできなくて。”こんなに自分は仕事できないんだっけ”と、自分のスピードの低下に驚きます」

私(佐野)はこの状態を「時間破産」と呼んでいます。

時間という資源で成果を生み出してきた社員が、育児や介護によってその資源を使い切ってしまった状態。能力が落ちたわけではない。経験も知識も以前と同じか、それ以上にある。しかし従来の働き方を前提とした評価軸では「成果が出せない人」に見えてしまう。

「今回こうなってよかったなと思います。改めて自分がどうやって成果を上げてきたかが分かりました。時間の切り売りでしたね」

前向きな言葉に聞こえるかもしれません。しかし私には、自分の働き方の限界を突きつけられた社員の静かな悲鳴のように聞こえます。 時間で勝負してきた社員が時間を失ったとき、会社は何か策を講じるのか。それとも放置するのか。この問いは、持続的な組織になれるかどうかの分岐点です。

「稟議申請のような毎日」——仕事にも家庭にも許可が必要になる苦しさ

「調整」という言葉の重さ。Tさんの話を聞いていて、私が特に印象に残ったのはこの点でした。

「連泊出張が結構ありまして。夫と調整するのが、正直なところめんどくさくなってきてるんです」

顧客先への訪問も含まれるTさんの業務には、出張がつきものです。独身時代であれば自分の判断でスケジュールを入れればよかった。しかしいまは違います。

「何をするにしても社内と家庭の調整が入るんです。会社でも家でも稟議申請を上げるみたいな感じになっていて」

この「稟議申請」という表現。時短勤務者が抱える構造的な苦しさが凝縮されていると感じました。

仕事のスケジュールを入れるために、まず夫と調整する。保育園の送り迎えの時間を確認する。出張が県をまたぐならリスクを考慮して余裕を持たせる。社内にも根回しをする。かつては自分の意思だけで決められたことが、すべて「許可制」になっているのです。

「この時間だったら帰ってこれるかなとか、でもちょっと県をまたがるからリスク取った方がいいかなとか。そういう調整ばかりですね」

見落とされがちですが、この調整作業そのものが膨大な精神的コストを生んでいます。

時短勤務者の「生産性が落ちた」ように見える原因の一部は、実は業務外のこうした調整に脳のリソースを奪われているから。常に頭の片隅で子どものことを考え、スマホを手元に置いて保育園からの電話に備える。Tさんは「マインドが取られている感じがする」と表現していました。

こうした状況はキャリア形成にも影響している、とTさんは話します。

「”リーダーをやりたいです”とか、積極的に言えなくなってしまいました」

出産前のTさんは、プロジェクトリーダーを務め、小さな組織ながらマネジメント経験も積んでいました。将来はマネージャー、その先へとキャリアを描いていた。しかしいま、その意欲を口にすることすら難しくなっている。「こんな状態で部下なんてとてもじゃない」と、自分にブレーキをかけてしまうのです。

会社側から見れば「最近、やる気がないな」と映るかもしれません。しかしその裏には、毎日の稟議申請のような調整疲れと、自分の時間をコントロールできない無力感が積み重なっています。 社員は生活上の悩みを、明かしません。

「切られるんじゃないか」——時短社員が抱える静かな「透明な退職恐怖」とは

相談の終盤。Tさんはこれまでよりも少し声のトーンを落としました。

「会社員なので、突然切られることはあまりないはずです。でも、わからないじゃないですか。大企業だって黒字なのに早期退職を実施しますし。うちも余裕がある会社には見えません」

「切られる」という表現をTさんは使います。

「今まで以上に成果が全然出せないと、切られちゃうんじゃないかっていう不安があります。とにかく成果を出したいです」

声を荒げるわけではない。涙を流すわけでもない。ただ静かに、しかし確実に、退職への恐怖が積み重なっている。

この恐怖の厄介なところは、表面化しにくい点です。「透明な退職恐怖」とでも呼べるものです。

時短勤務者の多くは「会社に配慮してもらっている」という意識があります。だからこそ不満や不安を口にしづらい。「時短なのに文句を言うのか」と思われたくない。その結果、恐怖は内側に溜まり続けます。

Tさんの場合、この恐怖の根底には先ほど述べた「時間破産」があります。

時間を使って成果を出すという、これまで通用してきた方程式が崩れた。でも会社の評価軸は変わらない。自分は同じ人間なのに、同じ成果が出せない。その構造的なギャップが、「能力が落ちたのではないか」「自分は必要とされていないのではないか」という自己否定につながっていくのです。

ここで人事担当者や管理職の方に考えていただきたいことがあります。Tさんのような社員は「辞めたい」とは言わないということです。

むしろ「成果を出したい」「キャリアを積みたい」と言っている。しかしその裏で、静かに退職への恐怖を抱えている。

Tさんは相談の中でこうも話していました。

「フルタイムには戻さず、子育ても大事にしながらキャリアを積んでいきたい」 「時短の中で成果を上げたい」

これは会社への要望ではなく、自分自身への宣言のように聞こえました。会社が何も変わらなくても、自分が何とかするしかない。そう思い詰めている社員の姿がそこにあります。

時短勤務者が抱える「透明な退職恐怖」は、本人が退職届を出しても見えないことが多い。しかしその兆候は確実に存在しています。

「最近、手を挙げなくなった」 「以前より元気がない気がする」 その社員は「時間破産」の状態にあるかもしれません。

「時間破産」した社員が迫る意思決定とは

Tさんとの相談を通じて見えてきたこと。それは、時短勤務者が抱える問題は「働く時間が短くなった」という単純な話ではないということです。

時間という武器で戦ってきた社員が、その武器を失ったとき、何が起こるか。

自分の成果の出し方の本質に気づく。毎日の調整作業に疲弊する。そして「切られるんじゃないか」という「透明な退職恐怖」を抱えるようになる。

Tさんは決して特別な事例ではありません。育児や介護で時間に制約が生まれた社員の多くが、同じ構造の中にいます。

会社側は意思決定を求められます。「時間破産」した社員は退職しても仕方ないと考え、採用に力を入れ続けるのか。「時間破産」は会社が解決する構造だと考え、マネジメントを改善していくのか。

その違いは、時間で測れない評価軸を持てるかどうかです。

長時間働いた人が評価される仕組みのままでは、時間破産に陥った社員は自己否定のループから抜け出せません。「時短でも成果を出している」と認められる基準が必要です。

もう一つ重要なのは、時短勤務者の「調整コスト」を可視化すること。彼らは業務だけでなく、家庭との調整、保育園との調整、社内との調整に膨大なエネルギーを使っています。その負荷を理解しないまま「以前と同じパフォーマンスを」と求めれば、責任感が強い社員ほど静かに心が離れていきます。

ある会社の経営者は「誰もやりたがらない”隙間の仕事”をやってくれていたと気づいたのは、退職して2週間経ってからだった」と話してくれました。そのポジションの採用は、1年半続けています。

Tさんは最後にこう話していました。

「子どもと少しでも長くいたい。でも時短の中で成果も上げたい」 この両立を「本人の努力」だけに委ねている限り、時短勤務者の退職は止められません。会社として「時間破産」した社員を支えるのかどうか。意思決定の時が来ています。


佐野創太

1988年生。慶應義塾大学法学部政治学科卒。大手転職エージェント会社で求人サービスの新規事業の責任者として事業を推進し、業界3位の規模に育てる。 介護離職を機に2017年に「退職学®︎」の研究家として独立。 1400人以上のキャリア相談を実施すると同時に、選手層の厚い組織になる”リザイン・マネジメント(Resign Management)”を50社以上に提供。 経営者・リーダー向けの”生成AI家庭教師”として、全社員と進める「ゼロストレスAI術」を提供する他、言葉を大切にするミュージシャン専門のインタビュアーAIを開発している。著書に『「会社辞めたい」ループから抜け出そう!』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)がある。


【佐野創太氏のこれまでの連載】

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佐野創太

1988年生。慶應義塾大学法学部政治学科卒。大手転職エージェント会社で求人サービスの新規事業の責任者として事業を推進し、業界3位の規模に育てる。 介護離職を機に2017年に「退職学®︎」の研究家として独立。 1400人以上のキャリア相談を実施すると同時に、選手層の厚い組織になる"リザイン・マネジメント(Resign Management)”を50社以上に提供。 経営者・リーダー向けの”生成AI家庭教師”として、全社員と進める「ゼロストレスAI術」を提供する他、言葉を大切にするミュージシャン専門のインタビュアーAIを開発している。著書に『「会社辞めたい」ループから抜け出そう!』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)がある。

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