組織・人事

コロナ禍で拡大する雇用シェア 在籍型出向は雇用維持の決め手となるか

新型コロナウイルス感染の拡大による休業や事業縮小を余儀なくされている企業も少なくない。そうした人材過剰企業が雇用維持を目的に従業員を人手不足の異業種に出向させる「雇用シェア」が増加している。(文:日本人材ニュース編集委員 溝上憲文、編集:日本人材ニュース編集部

感染拡大の影響や緊急事態宣言による自粛要請によって事業が大幅に縮小したのは、インバウンド需要の急減で航空、旅行、宿泊業などの産業に多い。こうした産業はコロナが収束すれば事業の復活や継続が期待できる。雇用調整助成金などを活用し、雇用維持に努めているが、一方ではコロナ禍で需要が増えた食品スーパー、ドラッグストア、家電量販店などの小売業や海外需要の拡大で生産を増強した自動車業界など人手不足の業界も存在する。その中で生まれたのが、人手過剰の業種から人手不足の業種に人材を一時的に出向させる雇用シェアだ。

政府の後押しもあり、異業種間での「在籍型出向」という新たな取り組みの拡大

具体的には現在の職場(出向元)との雇用契約を維持したまま別の職場(出向先)で一定期間働く「在籍型出向」だ。在籍型出向は企業グループ内では広く実施されているが、資本関係がなくても不況期に製造業を中心に同業種間で実施されてきた歴史もある。しかし今回は異なる業種間での在籍型出向という新たな取り組みといえる。

日本航空(JAL)やANAの、家電量販店やコールセンターへの従業員の出向がメディアでも大きく取り上げられ、多くの業種・産業間で雇用シェアの動きが広がった。政府もこうした動きを後押しすべく2020年6月、公益財団法人・産業雇用安定センターが「雇用を守る出向支援プログラム2020」をスタート。同センターはこれまでも企業間の出向・移籍の支援を無料で実施してきたが、新たに業界団体を通じて傘下の企業の出向に関する情報を提供し、人材を送り出す企業と受け入れる企業のマッチング支援の強化に乗り出した。

また、2021年2月、厚生労働省はコロナの影響で事業活動が一時的な縮小を余儀なくされた事業主が、在籍型出向により労働者の雇用を維持する場合に、出向元と出向先の双方の事業主に対して助成する「産業雇用安定助成金」を創設。もともと雇用調整助成金も事業主が在籍型出向を行う場合も支給対象とする仕組みがあったが、新たに出向先事業主も支給対象とするなど制度を拡充した。

出向元・出向先事業主が負担する労働者の賃金や研修などにかかる初期費用を助成することになり、雇用シェアが広がる契機となった。実際に出向も増えている。産業雇用安定センターが手がけた2020年度の出向成立数は3061人。19年度の2.5倍に増加している。月別の推移では20年10月の126人から11月は283人と急増。12月以降は500人前後だったが、21年3月は679人と増加に転じている。今年度も4月以降500人前後の成立数で推移している。

出向元企業が「在籍型出向」を行う際の2つの課題

出向元企業のメリットとして人件費の削減効果もあるが、従業員も出向先で新たな技能を磨いたり、ビジネスの知見を得られたりするなど個人のキャリア形成にも資するというメリットもある。しかし、課題もある。従業員を出向させたい、あるいは受け入れたいと思っても、どのようにして相手先企業を探せばよいのかマッチングの方法が分からないことだ。

もう1つの問題は、在籍型出向を行うには出向契約などの一連の手続きを踏む必要があるが、出向経験のない中小企業には出向規定がないところも少なくない。在籍型出向を命じるにあたってはあらかじめ就業規則や労働協約に包括的同意を規定しておく必要がある。

この規定がなければ労働者の個別の同意を得る必要がある。実際に出向する場合は、出向する社員の出向先での賃金、労働時間、休憩時間、休日などの労働条件や出向期間について労働者の同意を得て、出向元と出向先の間で出向契約書を締結しなければならない。

この基本的ルールを守らなければ出向命令は無効となることにも注意が必要だ(労働契約法14条)。また、前述した「産業雇用安定助成金」を受けるには「雇用調整を目的とする出向」(新型コロナウイルス感染症の影響により事業活動の一時的な縮小を余儀なくされた事業主が、雇用の維持を図ることを目的に行う出向)が対象となる。

大企業同士の大人数出向事例

産業雇用安定センターが手がけた出向は様々なケースがある。新型コロナ感染症が直撃した航空業界には、グランドハンドリングと呼ばれる航空会社の受付、案内の旅客業務や手荷物の搬送・積載の貨物業務などの業務を受託する企業がある。従業員1000人以上を抱えるスイスポートジャパンは特殊な技術と経験を有する従業員の雇用を維持するために複数の企業に出向させている。

出向先の1つが異業種の自動車関連の器具製造業。同社は特定の車種で需要が堅調であることに加え、一部の海外需要が期待できることから、要員の確保が喫緊の課題であったが、これまでまったく想定していなかった業種のスイスポートジャパンから121人を受け入れた。


「同社はこれまで派遣の受け入れや期間工を採用していた。しかし、なかなか採用が難しく、期待していた技能実習生も日本に入ってこない。グループ内出向でやり繰りするにも限界があり、何とかならないかという相談があり、グランドハンドリングという想定していなかった業種からの出向となった」(産業雇用安定センター)

また、2020年11月にはANAの受付・案内業務の従業員34人が食品スーパーの成城石井に出向している。成城石井としては社会貢献に加え、航空業界の高い接客スキルが従業員の意識の向上につながることを期待し、受け入れたという。

中小企業同士の少人数出向事例

以上の2つは大企業同士で人数も多いが、中小企業同士の1~2人程度の出向も少なくない。例えば地方の中国人専門の旅行代理店から保育園に1人出向させたケースもある。保育園の給食の調理補助者が育児休業することになり、非正規の採用求人を出していたが、出向に切り替えることを打診し、成立したものだ。

あるいは同じ運転手でも観光バスの運転手から精密部品輸送会社の運転手として出向したケースもある。訪日外国人旅行客を専門とする観光バス会社が、運転手を解雇してしまうとコロナ後に新たに確保しようとしても難しく、出向を活用して雇用維持を図りたいとセンターに相談。

一方、精密部品輸送を専門とする会社は慢性的な運転手不足だった。観光バスの運転手であれば、精密部品輸送に求められる丁寧かつ繊細な運転が期待できることから2人の出向を受け入れることになった。

雇用維持を超え“越境体験就業”による新たな可能性を秘めた雇用シェア

人数は少なくても出向先企業を探し、出向元企業とのマッチングにかかる手間は基本的に変わらない。地道な作業の積み上げが雇用を守ることにつながっている。すでに前出の産業雇用安定センターだけではなく、民間の人材会社も雇用シェアに乗り出すなどノウハウも蓄積されつつある。

また、雇用シェアは雇用維持を超えて“越境体験就業”による本人のキャリアの再認識だけではなく、自社のビジネスの転換や新規事業のアイデアにつながる可能性を秘めている。

これまでは業績悪化に陥ると、雇用調整助成金を使った雇用維持か希望退職募集による退出の2つの手段しかなかった。業績回復後に備えて従業員の雇用とモチベーション維持を図るための第3の方策として雇用シェアが加わる可能性もある。

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溝上憲文

人事ジャーナリスト/1958年生まれ。明治大学政経学部を卒業後、新聞、ビジネス誌、人事専門誌などで経営、ビジネス、人事、雇用、賃金、年金問題を中心に執筆活動を展開。主な著書に「隣りの成果主義」(光文社)、「団塊難民」(廣済堂出版)、「『いらない社員』はこう決まる」(光文社)、「日本人事」(労務行政、取材・文)、「非情の常時リストラ」(文藝春秋)、「マタニティハラスメント」(宝島社)、「辞めたくても、辞められない!」(廣済堂出版)。近著に、「人事評価の裏ルール」(プレジデント社)。

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