「日本型雇用」の特徴―終身雇用、年功序列、企業内労組―は長らく日本の社会と経済の礎を成してきました。
しかし、バブル経済の崩壊後の「失われた30年」を経て、これらの伝統的な概念は未曽有の試練に直面しています。
本稿では、日本の労働法と人材マネジメントがどのように進化し、現代の挑戦にどう応えているのかについてKKM法律事務所の倉重公太朗弁護士に解説してもらいます。(文:倉重公太朗弁護士、編集:日本人材ニュース編集部)
これからの時代の労働法及び人材マネジメントはどうあるべきでしょうか。改めて、現代の時代背景と共に考えたいと思います。
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第1回 昭和の高度経済成長期を時代背景に成立した、現在の労働法理【失われた30年と労働法の影響】
第2回 時代錯誤な労働法理が日本経済を苦しめている【失われた30年と労働法の影響】
不確実な時代
戦争・疫病・円安・災害など、現代は未来を見通すのが難しい、不確実な時代と言われ、5年先でも見通すことが困難です。「非連続の成長」とも言われ、現在の延長線上ではないところから成長の源泉となるイノベーションが起こるものです。
その中で、財界トップからも「終身雇用は難しい」という言葉がある通り、数年先を見通すのが難しい世の中において、終身雇用は、新卒から定年そして70歳までの定年後再雇用と考えれば50年近く先の未来であり、もはやその頃には会社の存続自体も不確実です。
しかるに、雇用だけをどうやって保障するのかという問題なのです。昭和の行動経済成長期に確立した年功序列・終身雇用の正社員モデルは、人口・経済増で未来が見通せる拡大再生産のステージでのみ通用する手法です。
不確実な世の中においては、雇用においてもこれまでのやり方を抜本的に変える必要がありますが、少なくとも労働法は高度経済成長期のルールが今なお現存しています。
そのため、解雇権濫用法理・不利益変更法理がある中で、日本企業はチャレンジングな新規事業やそのための人材確保が難しく、イノベーションを起こしづらい経営環境なのです。
働き方改革の残酷な真実
働き方改革により、長時間労働を抑制し、ワークライフバランスを向上させるというのは聞こえが良い話であり、実際、過労死や健康被害などを防止すべきことは当然です。しかし、働き方改革の裏で、キャリアが二極化しつつあることは誰も教えてくれない不都合な真実です。
企業は、残業時間削減のため、業務による成長、研修教育、新規事業等に打ち込む時間を制限せざるを得ないのが現実です。その中で、言われたことをやっているだけの人と、自らのキャリアのために学習し、副業やNPO等でキャリアを積み、誰にも言われず新規事業に打ち込む人との間では、10年後に取り返しのつかない差となって現れるでしょう。
以前は、企業から業務命令としてある程度の「量」をこなすことにより、飛躍的に成長する層が一定数居ましたが、今はこれができません。
そのため、働く人は、自ら考え、行動していく必要があります。今や一社に依存すること自体がリスクであり、自らキャリア自律し、エンプロイアビリティを高めて、雇用市場の中で生きていけるようにする必要があることを認識しなければいけません。
三位一体の労働市場改革の指針
政府の行政骨太方針を踏まえた新しい資本主義実現のための、三位一体の労働市場改革の指針では、働き方は大きく変化し「キャリアは会社から与えられるもの」から「一人ひとりが自らのキャリアを選択する」時代となってきたとして、時代の変化とこれに伴う改革の必要性を示しています。
同指針によれば、三位一体とは、
①リスキリングによる能力向上支援
②個々の企業の実態に応じた職務給の導入
③成長分野への労働移動の円滑化
のことです。
そもそも、日本企業は失われた30年の間賃上げされず、「企業は人に十分な投資を行わず、個人は十分な自己啓発を行わない状況が継続」していました。
不確実な世の中に突入し、本来であれば新たな時代に適合する能力開発も加速する必要がありますが、「現実には、働く個人の多くが受け身の姿勢で現在の状況に安住しがち」であるとし、十分なアップデートが行われていないとしています。
そして、その要因は「年功賃金制などの戦後に形成された雇用システム」にあり、年功序列・終身雇用などから個人の努力と報酬の関係性が断絶しており、エンゲージメントも低く、学習インセンティブもないとしています。
総論的には、時代の変化を捉えた真っ当な指摘ですが、政府指針であるが故の甘言も見られます。
具体的には、
①リスキリングは企業から命じられて行うものではなく、本人に火がつかないと意味が無いところ、解雇権濫用法理・不利益変更法理に守られた現在の正社員にそのインセンティブがあるとは言いがたいこと
②現在の日本的雇用システムのまま単純にジョブ型を導入すると、解雇権濫用法理・不利益変更法理の規制がある中で人事権まで手放すこととなり、ジョブフィットしない場合やジョブ消滅の場合にデッドロックとなってしまうこと
③労働移動を円滑化するには、まずは企業の出口である解雇権濫用法理の改革が不可欠であるところ
この点の言及が一切無いことです。
このように、同指針が目指す未来は、自ら努力し、スキルを高める者とそうでない者との間で大いなる二極化を生むこととなりますが、これは今後我々国民がどのような世の中を目指すのかが問われています。現在の労働法ルールは時代にマッチせず、他方で厳しい競争社会で二極化することが最善とも言えません。
雇用の流動性を高め、採用に対するインセンティブを企業に与えると共に、転職期間の公的給付拡充やスキルアップのための職業訓練の充実を組み合わせて行う必要があります。
最後に、同指針では、「従業員のパフォーマンス改善計画(PIP)」について触れられている点を評価します。
ジョブ型人事制度において、ジョブフィットしない場合、ジョブ消滅の場合の対処法を用意しておくことが不可欠ですが、現状労働法においては存在しないため、今後本気で雇用改革をするのであれば、解雇権濫用法理と不利益変更法理をどう変えるのかとセットで議論することが必須となり、その覚悟が政治にあるかが問われています。
賃上げは持続するか
岸田政権の賃上げ要請により、令和5年には多くの大企業で賃上げが行われ、同6年も業績好調な大企業では賃上げ継続の見通しですが、これが持続的な流れになるか、中小企業に波及するかが課題です。
そもそも、人口減少により縮小していく日本経済にとって、同じことをしていたのでは経済のパイは小さくなるだけですので、稼ぎを増やすには海外に出るか値上げをするしかありませんが、賃上げに関する日本特有の課題は、解雇権濫用法理と不利益変更法理により、雇用保障をしながら賃上げを維持し続けることはできるのか、という根本的なところにあります。
世界的にも、米国や中国の賃金が高いという報道は枚挙に暇がないが、これらの国では終身雇用が保障されているものではありません。根本的に、雇用保障と高賃金はトレードオフの関係にあるため、どちらを目指すのかを明確にする必要があります。
終身雇用でありながら、誰もが一律に黙っていても賃上げされる世の中はもう来ません。一社で終身雇用でありながら高賃金を永続的に続けている国は世界中どこにもありません。
未来への希望を繋ぐ人材マネジメントとキャリア自律
日本経済を取り巻く厳しい要因について述べてきましたが、最後は希望ある話で締めたいと思います。
コロナ禍もあり、働く価値観の変化を敏感に察知して変わろうとする企業が規模の大小を問わずみられ、変わろうとする企業は今後も生き残る可能性が高いでしょう。むしろ世界的に見て、解雇権濫用法理と不利益変更法理でハンデを負った経営環境の中でここまで戦っている日本企業には、改革の余地しかありません。
各企業の採用・賃金・評価・配置・昇進降格・タレントマネジメントなど、人事的な課題が必ずあります。今後、企業の成長に必要なことは、事業戦略の変化を理解し、人事戦略でドライブをかけられる人材マネジメントの存在です。
企業にとって課題となっていることは一様ではなく、必ず現場ごとに答えがあります。その時に重要となるのは個の力と、個の力を統合した組織としての人材マネジメントです。
個の力を上げるためには、一人一人が今の地位に「安住」するのではなく、経験や学びを深め続けること、組織としては、変革する組織のドライバーとなる戦略的人事が極めて重要となります。人材マネジメントの重要性に気づいた企業は今後の世界を生き残っていく確率が上がるでしょう。
また、現代的な役割を理解し、個人のキャリアに寄り添い、現場の課題を経営に伝え、職場の不公平を改善する、新たなる労働組合の存在も極めて重要となります。
強い者が生き残るのではなく、変革し続ける者が生き残るのであり、これは個人だろうと企業だろうと同じことです。そして、個人のキャリアは一社に限る必要はありません。
せめて読者の皆さんが、人材マネジメントを通じて、自己のキャリアを見つめ直し、自律していく一助となれば、望外の喜びです。
倉重公太朗(弁護士)
KKM法律事務所 代表弁護士/KKM法律事務所 代表弁護士。経営者側労働法を多く取り扱い、労働審判・仮処分・労働訴訟の係争案件対応、団体交渉(組合・労働委員会対応)、労災対応(行政・被災者対応)を得意分野とする。企業内セミナー、経営者向けセミナー、人事労務担当者・社会保険労務士向けセミナーを多数開催。著作は20冊を超え、近著は『HRテクノロジーで人事が変わる』(労務行政 編集代表)、『なぜ景気が回復しても給料が上がらないのか』(労働調査会 著者代表)等。
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