「なぜ若手は会社をすぐ辞めるのか。本音がわからない」 ――人事担当者や管理職の方から、こうした声をよく聞きます。実際に退職を検討している社員は何を考え、どんな基準で会社を評価しているのでしょうか。
今回は、デザイナー3年目のDさん(27歳・男性)と、キャリア相談者・佐野創太氏との相談の様子を通じて、退職を考える社員のリアルな心境と思考プロセスを佐野氏に連載で解説してもらいます。
佐野氏は退職学®︎(resignology)の研究家としてこれまでに1500人以上のキャリア相談を実施し、20〜50代の幅広い社員の本音に触れ続けています。その経験を『脱 会社辞めたいループ』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)などの著書にまとめています。
Dさんの相談からは、若手社員の複雑な「価値判断」が見えてきました。なぜ優秀な若手デザイナーが退職を考えるようになったのか。思考と感情のプロセスを詳しく見ていきましょう。一人の退職の背景には、大きな組織課題が隠れています。(文:佐野創太、編集:日本人材ニュース編集部)
※プライバシー保護のため、相談者の名前・性別・年齢・所属企業名等は編集しています。

社員は「体感年収」で会社を見ている
相談の冒頭、Dさんは転職を考える理由について率直に語りました。
「最近色々と考えてみたんですが、転職を検討する理由って結局のところ、お金だけなんですよね」
手取り月収20万円という現実に直面したDさんはこう考えていました。
「給料が低いってだけで会社を辞めたくなります。自分の仕事が低く見積もられている気がしちゃって」
私(佐野)は、この言葉の奥にある感情に注目しました。
「例えば年収300万円でも、スキルが身につく環境で人間関係も良ければ、実質的には100万円ぐらいプラスできる。そんな感覚はありますか?」
私(佐野)が提示したのは「体感年収」という概念でした。これは金銭報酬に加えて、人間関係の良さ、スキルアップの機会、働き方の自由度などを金額換算して総合的に評価する考え方です。
Dさんの場合、手取り20万円に対して以下の「お金以外の報酬」を感じていました。
- 人間関係の良さ:月10万円相当
- 上流工程の経験:月5万円相当
- リモートワーク可能:働き方の報酬として月5万円相当
「現在の手取りが月20万円で、それに加えて人間関係の良さが月10万円相当、上流工程を経験できることとリモートワークの働きやすさで、それぞれ月5万円相当の価値があると感じています。つまり、大体月40万円もらえていると言える環境かもしれません」とDさん。
年収に換算すると約480万円の価値を感じているという計算になります。 この「体感年収」の概念は、経営者や人事担当者にとって重要な示唆を含んでいます。従来の年収交渉だけでは見えない、社員が感じている真の価値を可視化できるからです。また、金銭的な報酬以外の部分で社員満足度を高める具体的な方向性も見えてきます。
一方で「うちの会社は金銭以外の報酬があるから給料は低くても良いだろう」は社員に甘えているだけです。採用と定着がうまくいっている会社は「体感年収」を理解しながら、金銭報酬も上げています。
体感年収は社員が自発的に感じるのであって、会社が「感じてほしい」と要請するものではないのです。
社員の「退職スイッチ」が押される瞬間
では、なぜ体感年収420万円を感じているDさんが退職を考えるようになったのでしょうか。その背景には、会社の組織課題がありました。
「エンジニアが足りないという理由で、デザイナーである私が本来の業務以外のタスクもやらなければならない状況です」
本来デザイン業務に集中したいDさんが、人手不足を理由に業務外のタスクを担当しています。この問題に対して会社は「エンジニアを増やします」と約束したものの、採用活動は一向に進んでいませんでした。
「一度方針を決めてから、1年半経った今もエンジニアは採用されていません」
会社が社員の要請を了承したにも関わらず、その後に報告も何もない状態です。「会社辞めようかな」の気持ちは膨れ上がる一方です。
「状況が変わらないと分かると、自分では何もできないという無力感に襲われて、ずっと耐え続けなければならない気持ちになります。いつまでこの状況が続くのか分からないのが一番つらいですね」
私(佐野)は、この状況を「ゴールテープがないマラソン」と表現しました。
「ゴールテープがないマラソンほどきついものはありません。仮に本当は”あと1ヶ月でこの大変さは終わる”ものであっても、目に見えないと誰にとっても厳しいものです」
Dさんはここまで考えます。
「ゴールのない苦労がある点で、体感年収でマイナス100万と考えても大袈裟ではありません」 退職を考える社員の多くが、この「改善への働きかけをしたが変化がない」「いつまで続くかわからない」という状況に直面しています。会社にとって辞めてほしくないエース社員ほど、働きかけています。
重要なのは、苦痛のレベルよりも「自分が働きかけてもなんとかならない」という無力感と、「解決の見通しが立たない」という諦めだったのです。
社員は「評価の透明性」と「成長実感」に挟まれている
キャリア相談の中で明らかになったのは、Dさんの会社の評価制度に関する課題でした。段階にわけた評価制度は存在するものの、評価基準が曖昧です。次の等級に上がるための具体的な条件が不明確だったのです。
私(佐野)はこう指摘します。
「基準が明文化されてなくても、Dさんと上司の間で合意できてれば目指せるじゃないですか。合意すらないと、何を頑張ればいいか分からないですよね」
Dさんは会社から評価されている点すらも疑ってしまうこともあるそうです。
「”責任感が強い”と評価されることがあるのですが、それも最近では”丸投げしやすいってことかな”と穿った見方をしてしまいます」
本来は優秀な社員ですらも、環境によってはこうも会社と距離ができてしまう。これは上司の立場である管理職でも同じです。「なぜその評価になるのかの理由を部下にはっきりと伝えられない」悩みは、多くの管理職に共通しています。
「なぜあの社員まで退職してしまったんだろう」。その違和感は背後にある組織課題が見え隠れてしている証拠なのです。
まとめ
Dさんの相談から見えてきたのは、若手社員の退職判断が想像以上に複雑で多面的であるということでした。
特に注目すべきは「体感年収」という概念です。金銭報酬、人間関係、仕事のやりがい、働き方の自由度を総合的に評価する若手社員の価値観は、あまり会社で共有されません。
年収300万円でも体感年収480万円を感じているDさんですらも、悪条件が重なるとそれだけで「マイナス100万円」となってしまうのです。
「体感年収」はまさに主観です。だからこそ、社員が「会社を辞めよう」と決意する強い動機になります。「弊社は金銭報酬の他にどんな報酬が提供できているだろうか。反対に、マイナスの報酬になっている要因はないだろうか」と考えてみることで、社員の感情を捉えた施策が打てるようになります。

佐野創太
1988年生。慶應義塾大学法学部政治学科卒。大手転職エージェント会社で求人サービスの新規事業の責任者として事業を推進し、業界3位の規模に育てる。 介護離職を機に2017年に「退職学®︎」の研究家として独立。 1400人以上のキャリア相談を実施すると同時に、選手層の厚い組織になる”リザイン・マネジメント(Resign Management)”を50社以上に提供。 経営者・リーダー向けの”生成AI家庭教師”として、全社員と進める「ゼロストレスAI術」を提供する他、言葉を大切にするミュージシャン専門のインタビュアーAIを開発している。著書に『「会社辞めたい」ループから抜け出そう!』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)がある。