2025年度の最低賃金は、1978年度の目安制度開始以来最大の66円(6.3%)という大幅な引き上げとなった。政治の介入や人材流出の危機感から39道府県が目安額を上回る一方で、27府県の発効日が2025年11月以降にずれ込む異例の事態になっている。(文:日本人材ニュース編集委員 溝上憲文、編集:日本人材ニュース編集部)

例年10月の最低賃金引き上げが27府県は11月以降にずれ込む
最低賃金の発効日の遅れは最低賃金近くで働く非正規や中小企業の従業員の賃上げの遅れを意味する。
例年の10月発効から秋田と群馬が2026年3月と半年も発効時期を遅らせたほか、福島、徳島、熊本、大分が2026年1月、27府県が2025年11月以降となった。
64円の目安を16円上回る80円に引き上げた秋田の発効日は2026年3月31日。半年遅れだと秋田の最低賃金は951円のままであり、2025年10月に発効した東京との格差は275円に拡大する。
秋田では答申後、複数の労働組合が異議申し立てを行い、他の県でも同じ動きが続いた。全国最高の82円に引き上げた熊本でも発効日を2026年1月1日にすることに労働組合から「労働者が不利益を被る」として再審議を求めていた。だが2025年9月22日、熊本地方最低賃金審議会は異議申し立てを却下、答申通り官報に公示した。
2025年度の最低賃金引き上げは過去最大
2025年度の改定額の全国加重平均額は1121円、全国加重平均額66円(6.3%)の引き上げとなり、1978年度に目安制度が始まって以降で最大となった。
47都道府県で63円~82円の引き上げとなり、最も高い引き上げ額は熊本の82円(1034円)。続いて81円の大分(1035円)、80円の秋田(1031円)、79円の岩手(1031円)、78円の福島(1033円)、群馬(1063円)、長崎(1031円)、77円の山形(1032円)、愛媛(1033円)、76円の青森(1029円)となった。70円超えは18県に及んだ。
背景には都市部との格差や、人手不足下で隣県への人材流出を恐れる知事などの積極的な要請もあった。中央最低賃金審議会の目安額を6円上回った福井県の杉本達矢知事は福井労働局を訪問し、審議会会長に「都市部や近隣県との格差を縮めるため、さらなる引き上げ」を求めたと報道されている。
福井県以外でも茨城、群馬、山梨県でも同様の要請を行ったと報道されている。知事要請ラッシュの弾みとなったのは、徳島県の後藤田正純知事が審議会に乗り込み、84円の引き上げを実現した2024年の「徳島ショック」にあるとされる。
隣県を意識した最低賃金引き上げ要請が相次ぐ
知事に限らず、隣県に人材を奪われるとの危機感は経営者側にもある。2025年8月19日、山梨県の長崎幸太郎知事は隣接都県のとの格差是正を求める要望書を労働局長に手渡している。
その背景について山梨県の経済団体の幹部は「山梨は大企業が少なく、中小企業が多い。学校を卒業すると東京や神奈川に就職する人も多く、東京の大学に進学した学生も山梨に戻ってこない。賃金が低いことも原因の一つだが、最低賃金の差も大きい」と語る。
それでも山梨の最低賃金は1052円。東京(1226円)と神奈川(1225円)とは依然として170円強という大きな開きがある。
隣県を意識した引き上げは九州でも見られた。9月4日、全国最高の82円アップの1034円の答申を出した熊本の数時間後、隣県の大分県は81円アップの1035円の答申が出た。
熊本地方最低賃金審議会の倉田賀世会長は「特に農業等で外国人労働者が多いなかで特定技能になったときに人材流出が大きな課題になっていることが県でも問題になっており、考慮させていただいた」と地元テレビで述べている。
熊本は台湾の半導体メーカーTSMCの進出などでパート・アルバイトの時給は高くなっているが、外国人労働者の流出も現実の危機感になっている。
最低賃金引き上げの遅れで新たな格差が生じるとの批判
一連の最低賃金引き上げ競争の背景に人材流出防止があるとすれば、本来、地域の実情を考慮した地方最低賃金制度のあり方として、政府の目安の形骸化も含めて「地域間格差の是正」が新たな課題として浮き彫りになった。
昨年は大幅に引き上げた徳島が唯一、11月1日に発効日をずらしたが、今年は多くの府県が追随した。発効日の遅れは賃上げの恩恵を受けられないだけではなく、例えば東北の宮城が10月4日に1038円になるが、秋田は951円が長く続き、地域間格差も大きくなる。
発効日の遅れは使用者側への配慮だが、実は中央最低賃金審議会も容認していた。使用者側の準備期間の必要性や「年収の壁」を意識した年末の就業調整による人手不足が深刻化するとの意見を踏まえ、「最低賃金法第14条第2項において、発効日は各地方最低賃金審議会の公労使の委員間で議論して決定できるとされていることを踏まえ、引き上げ額とともに発効日については十分に議論を行うよう要望する」(中央最低賃金審議会公益委員見解)と述べていた。
これに対して全労連の黒澤幸一事務局長は声明(9月16日)の中で「発効日の先送り・分散化は、最低賃金法の『賃金の最低限を保障することにより、労働者の生活を安定』を図るという生存権保障の精神を没却するもので看過することはできません。また、新たな地域間格差であり、『最低賃金分の賃上げで合理化する』などの春闘の形骸化を画策するものと言え、到底認められるものではありません」(談話「地方最低賃金審議会の2025年度改定答申を受けて」)と批判している。
従業員30人未満(製造業100人未満)の中小・零細企業への2024年の最低賃金の影響率は前年度より1.6ポイント上昇し、23.2%に達した。影響を受ける労働者は約700万人とも言われているが、今年の引き上げでさらに増えることが予想されている。
最低賃金の歴史に詳しいベテランの労働記者も「目安制度ができた1978年当時、労働組合から『労働組合のある組織労働者は4月に賃金が改定されるのに、なぜパート・アルバイトなどの未組織労働者の最低賃金の発効日が半年遅れの10月なのか、差別ではないか』という批判もあった。4月に遡って最低賃金の引き上げ分を支給すべきという議論もあったが、それをさらに数カ月あるいは半年も遅らせるのはもってのほかだ」と批判する。
こうした意見からも、今回の最低賃金改定の動きは最低賃金の目安制度創設以来、制度の根幹を揺るがす事態に直面しているといえるだろう。





