筆者の渡部昭彦氏は大手銀行、セブン-イレブン・ジャパン、楽天グループで人事部長などを歴任し、さらに人材コンサルティング会社のヒューマン・アソシエイツ・ホールディングス代表として長年人事と経営に携わってきた、いわば人事のプロ。人事評価制度について、制度の本質と運用面での課題について本音を語ってもらいます。(文:渡部昭彦、編集:日本人材ニュース編集部)
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人事部は本当に必要か? 人事権の曖昧さが生む現場と人事の対立
- HRMが喫緊の課題だが、「綺麗ごとばかり言ってられない」が現場人事の本音
- 飲み会の話題の定番は「頼りない上司」への不満と「なぜか出世する同僚」への悪口、人事的に言えば「評価制度への不信」
- コンピテンシー評価とは「どの程度優秀なのかを〇か×か△の一文字で言え」ということ
- イメージ評価により「上司が部下を好き嫌いで評価する」という事態は避けられない
- MBOは好き嫌い評価ではなく“理念上”完成度の高い評価
- 好きな部下には甘い目標を、そうでない部下には厳しい目標を? MBOの落とし穴
- 「上司が部下を好き嫌いで評価するのは仕方ない!」は「否定できない事実ではある」
- 外資系企業では好き嫌いで部下を評価・処遇しようが構わないが、自己責任
- 「好き嫌いでなく実力を反映した評価」の前提は、部下をよくよく知ること
- 好き嫌い評価はブーメランのごとく自らに戻って来る、フェアな評価を心掛ける
HRMが喫緊の課題だが、「綺麗ごとばかり言ってられない」が現場人事の本音
失われた20年・30年における経済停滞を打破すべく「人的資本投資」が、官民挙げての課題として様々な場で取り上げられています。
「企業経営はヒトが全て」とは従前より言われている言葉ですが、あらためて企業経営における「人事」の重要性が認識されている訳です。もちろん経営戦略と一体のものとしての人材戦略、昨今の言葉で言えばHRMが喫緊の課題であることに異論はありません。
一方で、日々部下の管理に追われている現場の管理職、そして巡る季節毎に人事システム(ルーティーン)を回さなければならない人事スタッフからすれば、「そんな大所高所からの綺麗ごとばかり言ってられないよ」ということかも知れません。
本稿はHRMのベースともなる人事制度について、ややもすれば「理念と現実」「本音と建前」が乖離する中で、その運用に呻吟(しんぎん)する(人事スタッフを含む)現場の視点から、あらためて課題と解決策を考えることを目的としています。
飲み会の話題の定番は「頼りない上司」への不満と「なぜか出世する同僚」への悪口、人事的に言えば「評価制度への不信」
今回は「上司が部下を好き嫌いで評価するのは仕方ない!」と題して、人事評価について検討をしたいと思います。
コロナ禍で会社帰りの付き合いは激減したと思いますが、サラリーマンの夜の飲み会の定番の話題は、「頼りない上司」への不満と「なぜか出世する同僚」への悪口が中心と(私は)推測します。
自分が遇されていない理由を「信念を貫く頑なな姿勢」とヒロイックに自己満足する一方、偉くなる周りの存在は「上におもねるヒラメ」と理解して心の安寧を得るのでしょうか。人事的に言えば「評価制度への不信」ということになります。
人事制度は一般的に、①評価制度②等級制度③報酬制度の三本柱で構成されます。
人事作業の流れで言えば、①→②→③の順です。人物や働きについて評価をする、その評価に基づき等級(グレードや資格)を決める、そしてその等級に基づき給料が決まるという訳です。
②と③は一体化される傾向もありますが、理念としては別物です。 この三つはトライアングルとして相互に依存関係にありますが、ここではシンプルに「評価」が因果関係のスタートと考え、具体論の最初のテーマに選んだ次第です。
コンピテンシー評価とは「どの程度優秀なのかを〇か×か△の一文字で言え」ということ
さて、「上司が部下を好き嫌いで評価するのは仕方ない!」と断定的に表現しましたが、あらためてその真偽を考えてみましょう。
人事評価制度は一般的に「コンピテンシー」と「MBO(目標管理制度)」から成ります。従前は「人事(行動)考課」と「業績評価」と呼ばれていたものの類似概念と考えて差し支えありません。
「コンピテンシー」は、組織において高いパフォーマンスを示す社員の行動特性を分析し、それを基準として一般社員を評価するというものです。
ありていに言えば、ハイパフォーマーと同じ行動様式を取る人は、すぐにではなくてもきっと遠からずハイパフォームするだろうという考え方に基づいています。
本来は職種や職階(≒資格・タイトル)毎に異なり、また時々刻々変化する経営環境に応じて逐次リバイスされるべきものですが、現実的にはほとんど共通のものが長期間にわたり使われているようです。
ある程度の汎用性が必要であることの性質上、具体的には、コミュニケーション能力、問題感知力、行動力、洞察力など判断の幅が広く解釈できる評価項目が中心です。
一般的にはこれら各項目につき3~5段階の評価を各々行った上、それらを総合して再度同じく3~5段階の評価を行います。「要するにどの程度優秀なのかを〇か×か△の一文字(記号)で言え」というのが求められる結論なのです。
イメージ評価により「上司が部下を好き嫌いで評価する」という事態は避けられない
そもそも人の定性面を評価する際に、対象となる一人の部下だけを見て〇×△を決める、ましてやSからDまでの5段階のいずれかを判断することは至難のワザです。
AとBの二人の部下がいて、どちらが優秀かを判断する、そしてそれをC,Dと順次拡大していくというのが現実的な思考プロセスです。
このようにコンピテンシー評価は、理論に裏付けられた精緻なシステムではありますが、もともと主観が入りやすい定性評価である中、最後は「いいか悪いか一言で言え!」という仕組みを宿命づけられていることから、どうしてもいわゆるイメージ評価になってしまいます。
しかも日々の業務に追われている現場の管理職においては、結局、複数の部下を頭の中で並べて順番をつけるということになりがちです。そうなると「上司が部下を好き嫌いで評価する」という事態は避けられない流れではないでしょうか。
MBOは好き嫌い評価ではなく“理念上”完成度の高い評価
一方、コンピテンシー評価に比べてMBO(目標管理制度)は、文字通り目標を決めてその進捗率で評価することから、客観性が確保されるのではないかと考えられます。
特にフロント業務は「数字の世界」ですので、評価者の恣意性の混じりようがないと言うことです。確かにコンピテンシー評価に比べれば、イメージ(≒好き嫌い)評価の入り込む余地は少ないと考えられます。
スタッフ部門や事務セクションでは業務の性格上、目標を「数字化」することは難しいですが、こちらも例えば「残業時間の〇〇%削減」「誤謬取引の△△件削減」と言った定量化により、同じく評価の恣意性排除の努力がなされています。
MBOは会社の業務計画を経営レベルから順次下に落としていくことから、社員全員が自身の目標を達成すれば会社も計画達成という分かりやすい仕組みです。経営と社員の目線を揃えるという意味では、「理念上」完成度の高い制度と言えます。
ここで「理念上」と強調したのは、コンピテンシーと同じく、実際の運用面では少なからず課題があるからです。
好きな部下には甘い目標を、そうでない部下には厳しい目標を? MBOの落とし穴
まず、個人の目標の設定は、上司と部下とが相談して決めるというのが一般的なプラクティスです。目標の達成率が評価基準ですので、目標のバーを上げ下げすることで、つまり分母の数字の決め方いかんで、目標達成の難易度を調整できる訳です。
好きな部下には甘い目標を、そうでない部下には厳しい目標を、とまでは言いませんが、ヒトの心情としてそのような気持ちが働く面があることを完全には否定しきれないのではないでしょうか。
更により大きな課題は、コンピテンシーと同じく、最後は「一言」で評価しなければならないという点にあります。
一般的には4~5個の目標項目の各々について、やはり4~5段階の評価をします。各々の目標達成度合いに応じて、SやAやBの評価をする訳です。
しかしながら評価結果が複数あっては判断に困りますので、最後は複数の評価を一定のルールに基づき一つにまとめなければなりません。(S+A+A+B+C)÷5=?という作業が必要です。
「算数的」にはこれを計算式に代替できますが、どこまで意味があるかということは容易に想像が着くでしょう。
またこれも多くのケースに見られるのですが、結論を出す最後の手前で調整項目が入ってきます。評価期間中の環境変化などがあった場合、機械的な計算対応では実態を反映しないということがあるからで、それなりの必要性はあります。
こちらも結局、上司の心の中でお気に入りの部下を救いたい、更には引き上げたいという気持ちがあれば、恣意性が評価に反映してしまう訳です。
「上司が部下を好き嫌いで評価するのは仕方ない!」は「否定できない事実ではある」
コンピテンシーもMBOも、途中のプロセスを精緻にしながら最後の「一言で言えば」という段になって、一気にその論理性や客観性が崩れてしまうのです。「所詮ヒトのやることだから」とまで言う気はありませんが、およそ制度の持つ限界は認識すべきでしょう。
あらためて「上司が部下を好き嫌いで評価するのは仕方ない!」の真偽を問えば、「その通り!」とまでは行かなくとも「否定できない事実ではある」ということなのです。
ここで検証すべきは、好き嫌いに基づく評価が本当に部下の実力(これも定義が難しいですが)を反映しているか、むしろ逆の相関関係にあるのではないかということです。
部下を持った管理職であれば実感を持つと思いますが、「すり寄って来る部下は得てして仕事ができない、逆に仕事のできる部下は是々非々で当たりがきつい」のではないでしょうか。
もしそうだとすれば、すり寄って来る能力のないイエスマンばかりが評価されて偉くなる会社の命運は明らかです。
外資系企業では好き嫌いで部下を評価・処遇しようが構わないが、自己責任
ではどうすればいいのでしょうか。多くの企業において管理職向けの評価者研修を実施していると思います。
そこではロールプレイングを含め、部下とのコミュニケーションのあり方、業務目標の設定の仕方、そして客観的な評価の必要性等について、懇切丁寧な解説がされます。それはそれで引き続き欠かせない大切なプロセスでしょう。
また管理職に対する評価においての「フェアな評価能力」の重要性についても繰り返し説明されます。
更に、同僚・部下なども評価者とする多面評価(いわゆる360度評価)を導入したり、人事委員会的なものを設立し直属でない関係部署の管理職がクロスして評価をするなど、第三者の客観的な目を活用する仕組みも工夫されています。
しかしながら一番大切なのは、直属の評価者である管理職自身が「フェアな評価」の重要性を腹に落とし込んで認識すべきことです。
この点について外資系企業の考え方は参考になります。
前回述べましたが、人事システムにおける外資系企業と日系企業の大きな違いの一つは人事権の所在です。ラインマネジャーが採用から評価・処遇、そして解雇に至るまで一気通貫で権限を持つのが外資系企業の一般的なプラクティスです。
背景にあるのは、権限も付与するが(業績が振るわない場合は)結果責任はきちんと取れ!という考え方です。好き嫌いで部下を評価・処遇しようが構わないが、自己責任ですよということです。
この考え方を日本の管理職に当てはめれば、同じく結果責任を取るという意識の徹底になりますが、そのためには会社として成果主義をきちんと根付かせる必要があります。
こう言うと「日本に成果主義が根付かなかったのは風土に合わないからだ。むしろ弊害の方が大きい。報酬は仕事の動機づけにならないと著名な学者も言っているではないか」等の反論があるかも知れません。
しかしながら未だに年功概念から脱却できない多くの企業を見ると成果主義云々を議論するずっと手前のところにいると感じます。
管理職において結果責任への認識が高まれば、仕事ができなくても可愛いげのある部下を高く評価する当然の帰結として、業績が低迷し自らが窮地に追いやられることとなる愚を悟るのではないかと思います。
「好き嫌いでなく実力を反映した評価」の前提は、部下をよくよく知ること
ここであらためて管理職の立場から考えてみます。「部下の好き嫌いは任せるが、結果責任は取って貰う、と言われても、では出来の悪い部下は切り捨て、使える部下だけで実績作りに邁進していいのか?」との反論がありそうです。
敢えて言えば、答えは「YES」と考えます。本当に出来が悪く再生の余地がないのであれば、如何に自分の膝下で大切に扱おうと、会社のみならず本人にとっても意味はありません。
現在の日本の法制度の下では解雇にはできませんが、本人に自身の評価を伝えた上で、再度適材適所を実現すべく社外のポストを含め別の道を探した方が有意義なのです。
いずれにせよ「好き嫌いでなく実力を反映した評価」の前提は、部下をよくよく知るということです。今の日本におけるそれなりの企業の(中間)管理職は、果たして部下と充分話ができているのでしょうか。
プレイングマネジャーとして様々な負荷が集中し「それどころではない!」というのは事実でしょう。一方、IT化の進展などで、およそ企業における組織のフラット化は進んでおり、文字通り上下の人間関係もかなりフラットになってきたように思います。
部下とのコミュニケ―ションを持つ機会は、その気さえあれば十分にあるはずです。コロナ禍の産物とも言えますが、face to faceの会話に限らず、オンラインによる非対面のコミュニケーションもすっかり根付いています。
部下に関心を持ち、その日々の行動や考えを理解することが、マネジメントの第一歩と考えます。イメージ評価で好き嫌いに応じて〇×をつける前に、あらためて部下との密なコミュニケーションを図り、その実力を見極めるのに遅きに失することはないと思います。
好き嫌い評価はブーメランのごとく自らに戻って来る、フェアな評価を心掛ける
長々と書いて来ましたが、少なからず日本の管理職が好き嫌いで部下の評価をしているのは事実でしょう。
そして妙に愛想はいいけれど仕事のできない部下を高く評価しているとすれば、それは会社にとっても本人にとっても益はありません。
重ねて、会社においては、評価者である管理職の結果責任をきちんと問うことにより「好き嫌い評価はブーメランの如く自らに戻って来る」という認識を涵養することが大切です。
その結果、管理職においても、当たり前のことながら、部下の行動や考え方に関心を持ちコミュニケーションを深めることで、フェアな評価のベースができるものと期待します。