「なぜエース社員は離職してしまうのか」人材育成の現場で毎年聞かれる悩みです。本連載では、エース社員の退職を防ぐための実践的なアプローチについて、退職トラブルに悩む企業へのコンサルティングを行う佐野創太氏に解説してもらいます。
前回は”元エース社員のマネージャー”ほどエース社員を退職させてしまう理由と、解決策として「2つのプライド」をお伝えしました。今回は、エース社員に「自身の価値」を適切に自覚してもらうための具体的な対話術について考えていきます。(編集:日本人材ニュース編集部)

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【第1回】なぜエース社員はSOSを出せないほど苦悩するのか【退職マネジメントのプロが語るエース社員の退職防止策】
【第2回】なぜ“元エース社員のマネジャー”ほどエース社員を退職させてしまうのか【退職マネジメントのプロが語るエース社員の退職防止策】
なぜ「エース社員」は無自覚なのか
「あいつの方がエース社員にふさわしいですよ」
連載第2回でご紹介した従業員300人規模のIT企業で、ある興味深い出来事がありました。入社5年目のエンジニアが、突如として退職を申し出たのです。
人事部が詳しく話を聞いてみると、意外な事実が判明しました。
「私は自分に甘い性格だから、もっと成長を厳しく問われる環境を求めています。でも、退職の意向を伝えたら『君は当社のエース社員の一人だ』と言われました。正直、驚きましたし、戸惑いが大きいです。だって、自分よりも優秀なひとはこの会社にも他社にもたくさんいます」
この言葉には、エース社員のマネジメントにおける重要な課題が隠されています。
私がこれまで50社以上に提供してきた、選手層の厚い組織を作る「リザイン・マネジメント(Resign Management)」を推進したところ、エース社員に関してよく挙がる悩みがあります。
「彼(彼女)はエース社員の自覚が薄い」と自身の価値を過小評価していたのです。エース社員特有の「謙遜バイアス」です。
「確かにリファクタリングはうまくいって、コードの可読性は上がったと思います。でも、これってGitHubで見つけた他のエンジニアの設計パターンを真似ただけですよ」
入社4年目のあるエンジニアは、レガシーコードの改善プロジェクトについてこう語りましたが、上司がやったことを聞いてみると、実際には以下のことを進めていました。
●複数の設計パターンの中から最適なものを選択する
●チームの技術スタックに合わせた調整する
●段階的な移行計画の立案する
●チーム全体の学習コストを考慮して実装する
これらの判断と実装を全て自身で行い、システムの保守性を大幅に向上させていました。
エース社員は「情報を集めて実装しただけ」と考えがちですが、そこには高度な判断力と実行力が必要とされています。ある管理職は「優秀なエンジニアほど、『これは誰でもできること』と思い込んでしまう」と指摘します。
「謙遜バイアス」が発生する原因は、次の3つに分解されます。

「謙遜バイアス」が発生する3つの原因
1. 比較対象の偏り:常に自分より優れた面を持つ人と比較する
2. 成功の外部化:成果を「環境」や「運」に帰属させる
3. 期待値の上昇:できることが増えるほど、できないことへの焦りが強まる
この問題に対して「タイプ別の自覚促進プログラム」という新しいアプローチを導入することにしました。
エース社員に自覚を促す3つの対話術
エース社員の3つのタイプごとに、異なるアプローチを設計しました。
(参照:3つのエース社員の特徴は第1回をご覧ください)

完遂型エースへの対話例
完遂型エースは自身の仕事の質にこだわりを持つタイプで、彼らは常により良い成果を追求するため、現状に満足することがありません。
ある管理職は、このタイプのエンジニアとの1on1でこんな会話を交わしました。
上司:「この四半期のシステム安定性が過去最高を記録しましたね」
エンジニア:「いえ、まだ改善の余地がありまして」
上司:「常に上を目指していますね。では他のプロジェクトと比較したデータを見てみましょうか」
このとき上司は、社内の全プロジェクトの安定性指標を示し、客観的な数値で価値を実感させました。
「完遂型エースには、定量的な事実を示すことが効果的です。ただし、数値を示すタイミングが重要です。課題に取り組んでいる最中ではなく、一区切りついた後に見せることで、『現時点での価値』と『更なる可能性』の両方を感じてもらえます」
革新型エースへの対話例
革新型エースの特徴は、常に新しい価値を生み出そうとする点です。その特性ゆえに「まだ誰も到達していないゴール」を追い続け、現在の自分は「常に中途半端」と考える傾向があります。
同社では、このタイプに対して「影響力の可視化」というアプローチを採用しました。ある革新型エースとの1on1では、こんなやり取りが行われています。
上司:「先月提案したサービス化の設計図、他チームでも採用され始めていますよ」
エンジニア:「はい。でも社内でしか通用しないレベルです」
上司:「ちょっと視点を変えてみましょうか。君の設計を参考にしたチームが、どんな成果を出しているか見てみましょう」
このとき上司は、他チームがその設計思想を取り入れて達成した具体的な成果を示しました。さらに、それを採用したエンジニアからの具体的なフィードバックも共有しています。
「革新型エースには『あなたのアイデアが、どれだけの価値を生み出しているか』を実感してもらうことが大切です。評価軸は自分だけでなく、他人軸にしてほしいんです。彼らは往々にして、理想が高すぎるのもあるのですが、自分だけが評価社になってしまうことが多いのです」
調和型エースへの対話例
調和型エースの最大の特徴は、チーム全体のパフォーマンスを高める能力です。しかし、その価値は数値化しにくく、本人も自覚しづらい傾向にありました。
ある調和型エースとの対話では、このような工夫が施されています。
上司:「最近、チームの雰囲気が良くなっていることに気づいてますか?」
エンジニア:「みんなが頑張ってくれているからだと思います」
上司:「実は他のメンバーからあなたの話を聞かせてもらっているので、お伝えしますね」
そうして上司は、二人のメンバーからの声を伝えています。
中堅エンジニアのBさんの声: 「正直に言うと、私は技術的な議論の場で発言するのが苦手でした。でも『Aさんならではの視点をお聞きしたいのですが、どう考えますか?』と話を振ってくれるようになってから、徐々に自分の意見が言えるようになりました。今では若手エンジニアに自分から声をかけられるようになっています」 |
新卒2年目のCさんの声: 「入社当初は分からないことがわからないから聞くのも緊張していました。でも、『僕が入社した時も同じように悩んでたんです』って話してくれたんです。技術的なアドバイスより、その言葉が本当に心強かったです。今ではチーム開発が本当に楽しいと感じています」 |
調和型エースには、『実際の声』で価値を実感してもらうことが効果的です。特に、メンバー一人一人の具体的な声を伝えることで、自身の影響力を認識できるようになります。
エース社員から相談したくなる「プレ1on1」のつくり方
エース社員の価値を認識してもらう取り組みを続ける中で、同社は重要な点を発見をします。
エース社員の退職を防ぐ真のカギは、「相談される関係」を築けるかどうかにあったのです。
人事部長は「当初、私たちは『エース社員に自身の価値を伝える』ことに注力していました。でも、それだけでは謙遜バイアスを強めるだけです。彼らが悩みを『相談したくなる』関係性をつくることで、価値が伝わる回路ができるイメージです」と説明します。
一方、一度は退職を考えたものの踏みとどまったエース社員に共通していたのは「誰かに相談できた」という経験でした。あるエース社員は相談することで「大袈裟かもですが、孤独から救われた気分でした」と話します。
同社の管理職Dさんは、具体例を挙げて説明してくれました。
「エース社員が退職を決意するまでには、実は長い『悩みの期間』があります。この期間に相談できる関係があるかないかで、結果が大きく変わります。相談を受けられる関係性があれば、問題が大きくなる前に対処できるんです」
そこで、同社が導入したのは「プレ1on1」という仕組みです。1on1は相談ハードルが高いので、1on1よりも軽い対話を「1on1より前に」2つ設けたのです。

1on1の前に取り組む「プレ1on1」
第1段階:ミニトーク(気軽な雑談) 時間:5分程度 場所:オフィスのフリースペース(会議室、執務室以外) 内容:最近の技術的な興味、仕事で漠然と気になっていること |
第2段階:ミニ1on1(中程度の会話) 時間:15分 場所:小会議室 内容:短期的な課題やちょっと気になる悩み |
ある管理職は、「プレ1on1」の仕組みの効果をこう説明します。
「以前は『1on1で話そう』と言うと、エース社員が身構えてしまいました。『相談するほどの話でもない』と遠慮するんです。でも、立ち話やミニ1on1をしていると、「前に少し話したあれなんですが」と話を切り出しやすいんです。コミュニケーションは質よりも量が大事だとようやく気づきました」
ある革新型エースのエンジニアは、この変化について「以前は『1on1で相談したい』と言うと、何か重大な問題があると思われそうで話せませんでした。いまはコーヒーを取りに行くときでも『この技術が気になっていて』と気軽に話せます。先日も新しいサービスのアイデアを漠然と考えていて、ふとした立ち話で伝えたら『もう少し具体的に聞かせください』という話になりました。結果的に次の1on1を事業戦略に絡めた提案の機会にしてもらっています」と語っています。
別の上司も「これまで1on1をやるとなると『しっかり聞かねば』だったり、逆に『何を言われるんだろう』もしくは『何も言われなかったらこの30分をどう乗り切ろう』とごちゃごちゃ考えていました。その場も重くなるわけです。いまなら『前話していたあれのことか』と軽く受け止められるようになっています」と変化を感じているのだと教えてくれました。
「なんでも相談してよ」と伝えていても、単発に終わってしまいます。「プレ1on1」が少し重めの相談から提案をする下地になってくれます。このようにコミュニケーションは質より量が増える仕組みをつくった方が、相談しやすい関係が生まれます。
とはいえ、同社もすぐにうまくいったわけではありません。「プレ1on1」を導入した際に、社員が「なんとなく相談はダメなこと」と捉えられていたことがわかりました。
そこで、この仕組みをつくる際に「自立」についての概念を見直した際に、ある言葉に出会いました。
自立とは自分で立つことだが、自分ひとりで立つことではない。誰かに支えられ、助けられながら立つ。これが、自立というものの本質なのだ。その意味で、自立と依存は矛盾しない。自立と依存は、同時に存在し、相互作用し合っているものなのだ。
都筑学『自立って何だろう』P126 新日本出版社
仕組みが導入され、定着する際にはこういった「価値観」といった目に見えないソフトな部分の議論が必須です。仕組みと価値観が両輪になって、組織は前に進みます。
次回はエース社員がなりがちな「燃え尽き症候群」を取り上げます。ここにもエース社員の無自覚さが影響しています。
佐野創太氏のこれまでの連載はこちら▼
退職マネジメントのプロが語る退職トラブル解決法
人事のためのChatGPT入門

佐野創太
1988年生。慶應義塾大学法学部政治学科卒。大手転職エージェント会社で求人サービスの新規事業の責任者として事業を推進し、業界3位の規模に育てる。 介護離職を機に2017年に「退職学®︎」の研究家として独立。 1400人以上のキャリア相談を実施すると同時に、選手層の厚い組織になる”リザイン・マネジメント(Resign Management)”を50社以上に提供。 経営者・リーダー向けの”生成AI家庭教師”として、全社員と進める「ゼロストレスAI術」を提供する他、言葉を大切にするミュージシャン専門のインタビュアーAIを開発している。著書に『「会社辞めたい」ループから抜け出そう!』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)がある。
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