HRテクノロジー分野は、情報法と労働法が交錯する領域であり、双方の視点が必要となります。実務的には、採用から退職までの様々な分野においてHRテクノロジーの活用が始まっていることから、KKM法律事務所代表の倉重公太朗弁護士にHRテクノロジーの労働法における諸問題について全3回に分けて解説してもらいます。
今回は「そもそもHRテクノロジーとは何か、採用におけるHRテクノロジー活用と労働法の判断例」について取り上げます。(文:倉重公太朗弁護士、編集:日本人材ニュース編集部)
HRテクノロジーとは
まず、HRテクノロジーとは、AIなどのテクノロジーが人事に関わる領域に応用されていることであり、人的資本開示との関係で議論されることも多くなってきました。
ただし、労働法領域の議論を見ていると、HRテクノロジーの正体をよくわからないものとして書いていたり、まだまだフワッとしたイメージに基づく議論が多い風潮です。
そのため、実際に検討するHRテクノロジーが具体的にどんなサービスなのかというところをきちんと特定した上で、法的な問題を検討する必要があります。
ただし、後述のように、今現在既に労働委員会などで紛争になっている案件も存在するので、何が問題なのかというところを理解することが重要です。以下からは拙共著『HRテクノロジーの法・理論・実務』(以下、「本書」)からの引用抜粋です。
具体的な活用例
HRテクノロジーは経産省が後援しているHRソリューションコンテストが毎年行われており、非常に多様な分野のサービスがあります。
HRテクノロジー大賞で表彰されたユーザー企業
実際のサービスとしては、採用や配置、エンゲージメントを図るといった類いのものが非常に多いですが、やはり採用領域が1番キャッシュに結びつきやすいという側面があります。
エントリーシートを読み込んで分析する、ビデオ面接の動画分析、適正検査による既存社員とのマッチングなどのサービスが現実に存在します。
また、会社の中での適正配置という観点で、個々人の業務データを取得して、本人のキャリアを示唆してみたり、あるいは、こういう部署に配置転換する選択肢があるということを提示したり、あるいはキャリア相談にAIが乗るというサービスも存在します。
その他に、勤怠や安全管理関係では、勤怠データやチャットデータなどから退職予測(例えばこの人は4カ月後に退職しそうなど)あるいはメンタルがダウンしている可能性があるといったパルスサーベイ(定期的なアンケート調査)によってメンタルの上下を調査するようなサービスも既に存在します。さらには、ウェラブルデバイスによって上記の精度を上げていくなど、エンゲージメント分析をするサービスもあります。
HRテクノロジー大賞で表彰されたユーザー企業
前記HRテクノロジー大賞で表彰された企業を見ると、サービス提供ベンダーのみならず、各社の社内施策においてテクノロジーを活用し、自社独自の人事施策をやっていくという動きもあります。また、ベンダーという意味では、HRテクノロジー系のスタートアップで上場しているという会社も8社出てきています。上場しているHRテクノロジー企業のサービスとしては、採用やエンゲージメント、退職要測、コンピテンシー評価など、人事領域の多様な分野のものがあります。
株式上場を果たしたHRテクノロジー大賞受賞スタートアップ企業
HRテクノロジーの法律問題-なぜ労働法的観点が必要なのか―
HRテクノロジーの問題を考えるときに労働法的な観点がどうして必要なのでしょうか。
当然ではありますが、HRテクノロジーは個人データや従業員データを扱うので、個人情報保護の問題は当然生じます。
一方で、労働法の観点から検討すると、テクノロジーによる情報や予測を使った、最終的には人事権を行使するという形になります。具体的には、配置転換や解雇といったものが人事権行使の例で、その人事権行使の有効性が労働法的に問題になるということです。
さらに、対労働組合という意味では、不当労働行為という労働組合法上の問題が生じます。これはもう現に東京都労働委員会で、紛争として顕在化しています。
IBMの紛争状況と、UberEats事件の命令については後述しますが、総論的に述べれば、テクノロジーは正しく使わなければならないということに尽きます。労働法的には、どのようなデータをどのような目的で活用し、最後は人が判断する根拠とするというところを、きちんと人事権行使として位置付けるというところが重要です。
労働法分野とHRテクノロジー
各分野の問題点をざっと挙げれば、採用分野から始まり、そして、人事権行使として配置転換や、賃金の昇給・降給、あるいは従業員モニタリングや懲戒処分との関係、そして賃金制度変更などが挙げられます。
さらに、不利益変更論や、教育訓練、それからテクノロジーを用いたマイクロラーニングや、受講時間の労働時間性、あるいは安全配慮義務との関係や労働組合との関係、不当労働行為の成否、このあたりが問題となるため、それぞれの概要を述べます。
採用領域における現状と未来
まず採用側の分野ですが、これは前述のようにエントリーシートの分析であったり、あるいは既存社員とのマッチングを見るモデルであったり、あるいは面接風景の動画を撮るなどといった様々なサービスが既に存在します。
しかし、これも米国のAmazon事例で見られたように、良いエンジニアというものを機械学習させていったら、エンジニアは男性が多いため、男性の方を加点するようなロジックになってしまっていたというものがありました。こういったことにならないように、データの扱いというのは、最終的には人がチェックする必要があります。
HRテクノロジー活用における情報収集
情報収集という点に関して、労働法的な見方では、前提として採用の自由があります。採用の自由は憲法上の権利であり(憲法22条)、採用にあたってどのような事項を考慮するかは、各企業の自由であるということが導かれます。
三菱樹脂事件(最高裁大法廷 昭48.12.12判決)という有名な事件がありますが、同判例では「企業者において、その雇傭する労働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれのある者でないかどうかに大きな関心を抱き、そのために採否決定に先立つてその者の性向、思想等の調査を行なうこと」が許容される理由について、「企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくない」としています。
つまり、採否決定に先立って、その者の性格傾向であるとか、思想等の調査を行うことが許容されるという前提に立っているということです。
その理由として、上記の通り通常の雇用契約は、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係としての相互信頼を要請するのだという言い方をしています。要するに、なぜ、その人に対して根掘り葉掘り聞いていくのかというところの理由にも繋がる議論であり、それは相互信頼を得るための裏付けが必要だからということです。
最近の例で言えば、AIによる動画分析なども含めて些細なこととか、重要だと思われないだろうみたいなところも、実は意外と評価されたりする可能性があるので、「聞かれたことに対しては、些細なことでも、細かく正しく答えてくださいね」などと事前に言っておく必要がありますし、そもそもこういったデータを取得する必要性があるのだという根拠にもなります。
また、本稿では深入りしませんが、職業安定法が2022年10月に改正されました。その関係でも、個人情報保護法とは別に、「労働者の募集を行うもの…は…労働者になろうとする者…の個人情報を収集し、保管し、又は使用するに当っては、その業務の目的の達成に必要な範囲内で…当該目的を明らかにして求職者等の個人情報を収集」しなければならない(令和4年改正職安法5条の5)とされました。
これは、いわゆる「リクナビ事件」(後述)を受けて、就活における情報収集の目的や範囲を業務に必要な範囲に制限するものです。その関係で、例えば健康情報をどこまで調査できるのか、既往歴を調査する、前科を調査する、前職でどのような業務遂行状況であったか、リファレンスチェックをする等々、採用活動にあたっての情報収集における問題点は多数あり得ます。
要するに、最終的には本人から同意をとって直接取得するという話と、当該情報を取得することに関する業務上の必要性という観点で判断されることになります。業務上の必要性という関係においては、既に述べたHRテクノロジーにおけるAI判断などを考慮すると、AIは様々な要素を考慮する際に、何が重要かという判断基準が人が見る場合とは異なっている可能性があるというのも、様々な情報を取得する理由となります。
この関係で、嘘をついたらどうなるのかという問題点も当然存在します。内定取消の裁判例において経歴訴訟をしていたというのは昔からよくある紛争類型です。
その関係では、「労働者が使用者からそれらの申告を求められた場合には、労働者は、少なくともそのうちの重要な部分については、これを正確に申告する信義則上の義務を負うものというべきである。けだし、労働契約も人間と人間との継続的な契約関係であって、その契約関係の円滑、健全な進展は当事者相互間の信頼関係を無視しては考えられないところ、労働者が労働契約の締結に当り前記のような性格を有するその学歴及び職歴の重要な部分を意識的に詐称するようなことは、契約締結の当初から当事者間の信頼関係を著しく損ねるものであって、信義則上許されないことであるといわなければならないからである。従って、もし労働者がこの信義則上の義務に違反して学歴及び職歴の重要な部分を詐称した場合には、その労働者は、使用者から、その詐称を理由に非難されたり、それ相当の不利益を受けたりしてもやむをえないものというべきである」(スーパーバック事件 東京地裁 昭54.3.8)とされている通り、学歴、職歴の重要な部分を意識的に偽るというのは信頼関係を著しく損なうとしています。
では、何が重要な部分なのかといえば、前述のようにどの因子がどの程度採否判断に影響するかということが特にAI判断、機械学習だと分かりにくいことを踏まえて、応募者に対してきちんとした説明を行っておく必要があります。
リクナビ事件
リクナビ事件について少しだけ補足します。
ご存じの通り、個人情報保護法以外にも、職安法の問題として、厚労省より行政指導が行われています。特に職安法の方に関しては、同意があったとしても、リクナビやマイナビという就活サービスは、学生側にとって見れば、「使わなければいけないサービス」という状態であるため、形式的に同意があったとしても、それが同意を余儀なくされた状態で取得するということは、職安法違反なのだという言い方をしています。
職安法に基づく指針では、就活生に関する情報を公正な方法によって取得しなければならないという規定があり[1]、「公正」とは何かという話で、行政解釈の幅が極めて広く不明確です。
そもそも、本件は、内定辞退率というデータを取得・生成していたというところが問題であって、しかもそれは一見、データの利用目的のところからは全くわからないような採用施策向上といった程度の同意項目の記載しかなかったため、その記載では誰も内定辞退率を調べているとは想像できなかったと考えられます。
ただし、「内定辞退率の調査のために用います」と明示的に書けば良いのかというと、前述の「公正」という観点からそれで良いのか、というのが労働法分野独自の議論です。
一方で内定辞退ということは、エンゲージメントが低いという話でもあります。内定者に対して、同期の絆みたいなものを築く場を提供し、あるいは先輩との関係性などを含めて、エンゲージメントを上げていきますよという人事施策であれば、むしろ何の問題もありません。従業員のエンゲージメントを高める人事施策は現に行われているので、内定者についても堂々と目的を明示して行うべきであって、コソコソやる話ではありません。
[1]「個人情報を収集する際には、本人から直接収集し、本人の同意の下で本人以外の者から収集し、又は本人により公開されている個人情報を収集する等の手段であって、適法かつ公正なものによらなければならない」(職業紹介事業者、求人者、労働者の募集を行う者、募集受託者、募集情報等提供事業を行う者、労働者供給事業者、労働者供給を受けようとする者等がその責務等に関して適切に対処するための指針第五、一、(三))
そもそも本件問題は日本型雇用に起因する
しかし、なんでこんなことをコソコソやってしまうのかというと、日本型雇用、特に新卒一括採用の特徴として、無垢な人材を大量に獲得するところにあります。それは、採用数で考えているため、歩留まりも含めて何人ぐらい採用内定をするとどれぐらい乖離があるというのが、採用担当者の評価になってしまうからです。だからこそ必死となって就職終われハラスメントなども含めて、無理な採用活動の温床になってしまいます。
この問題は、本当に正面から堂々と取り組んでやるべきで、逆にちゃんと言えないことはやるべきではないということになります。エンゲージメントスコアの改善のために、内定者に対してこういう施策をやりますよ、であれば良いのです。
そのため、同意取得の際に、もっと約款を細かく書いておけばよかったのではないかとか、そういう表面的な問題ではなく、何のためにそのデータを使うのか、採用のどういう目的のために使うのかというところを本来は検討すべき問題だったのではないでしょうか。
次回はジョブ型、個人情報、組織開発と人材開発、それぞれにおけるHRテクノロジーとの関連ついて解説します。
続きはこちら▼
第2回「ジョブ型、個人情報、組織開発と人材開発におけるHRテックの活用と労働法の判断例」
第3回「安全配慮、休職と退職、労働者性概念におけるHRテクノロジーの活用と労働法の判断例」
倉重公太朗(弁護士)
KKM法律事務所 代表弁護士/KKM法律事務所 代表弁護士。経営者側労働法を多く取り扱い、労働審判・仮処分・労働訴訟の係争案件対応、団体交渉(組合・労働委員会対応)、労災対応(行政・被災者対応)を得意分野とする。企業内セミナー、経営者向けセミナー、人事労務担当者・社会保険労務士向けセミナーを多数開催。著作は20冊を超え、近著は『HRテクノロジーで人事が変わる』(労務行政 編集代表)、『なぜ景気が回復しても給料が上がらないのか』(労働調査会 著者代表)等。
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