DXと管理職の意識改革でエンゲージメントを高める【人的資本経営とウェルビーイング】

少子高齢化による労働力人口の減少に加え、コロナ禍からの経済活動の再開で人材獲得競争が激化している。人的資本情報の開示を人材投資の取り組みをアピールできる機会と捉え、社員のエンゲージメントを高めて人材流出を防ぎ、一人一人の活躍を引き出すための人事施策が求められている。

日本人材ニュース

ウェルビーイングの実現が業績向上に貢献

2023年3月期から有価証券報告書への人的資本情報の開示が義務化され、企業の人材投資の方針や成果が明らかになっていく。効果的な人材投資によって持続的に企業価値を高めていくことは、投資家から評価されることはもちろんのこと、働く人たちにとっても魅力的な企業だ。

そうした人的資本を重視する企業で、肉体的、精神的、社会的にすべてが満たされた状態を指す「ウェルビーイング」の考え方を取り入れる動きが出てきている。多様な働き方が広がる中で、企業と働く人の関係性の変化を踏まえた人材戦略の見直しが求められているからだ。

社員のウェルビーイングを実現することが「ワークエンゲージメント」を高め、業績向上に貢献するとの研究結果なども出てきており、ワークエンゲージメントが高い人は「仕事に誇りとやりがいを感じ、熱心に取り組み、仕事から活力を得て、いききとしている状態」(厚生労働省「令和元年版労働経済の分析」)にあり、高いパフォーマンスを発揮できる可能性が高い。

健康データを一元管理し、社員の変調を早期に把握

近年は「健康経営」を掲げる企業も多く、人的資本情報の開示においても健康関連情報が求められているが、490社以上に健康管理システムを提供するiCARE(アイケア)の山田洋太社長は「経営層から人事部門にも指示が出されていますが、具体的に何から着手すればよいのか混乱している企業も見られます。そうした企業の主な課題としては、①健康課題や取り組むべき施策が分からない、②健康関連施策はいくつか動いているものの担当部門が異なり状況を把握できない―という二つが挙げられます」と指摘する。

こうした課題を解決するために同社が提供している健康管理システム「Carely」は、健康診断やストレスチェック、勤怠や人事情報などの健康データを一元化し、データ分析をサポートする。

北海道でドラッグストアを運営し、2021年から「Carely」を活用しているサッポロドラッグストアーの人事担当者は「健康診断の結果や過重労働の管理など、これまで紙で管理してきたものをクラウド上で一元管理できるようになったことが大きな変化です。例えば健康診断の結果は健診機関からデータでもらうようになり、経年で管理できるようになりました。過重労働の管理についてはCarelyから(疲労蓄積度チェックリストを)送信し、回答してもらうことで従業員・産業保健師双方の作業負担を軽減できました。ストレスチェックも本社従業員だけでなく、店舗を含めた全従業員に実施できるようになったことで、部署ごとブロックごとのデータ分析が実現しています。面談結果についても、これまでの健診結果やストレスチェックの結果を見ながら、一元管理できるようになりました」と導入効果を説明する。

同社のように健康データを一元管理して分析できれば社員の変調を早期に把握しやすくなる。デジタル化で人事業務の効率化が進めば管理職や人事担当者は社員へのサポートにより時間を割くこともできる。

「健康経営を推進するためにはDX(デジタルトランスフォーメーション)が欠かせません。しかしシステムは手段に過ぎず、導入しただけで効果が出るわけではありません。経営トップが先頭に立ち、産業保健師などの専門人材を採用するなど、本気で取り組む必要があります」(山田氏)

ウェルビーイングを支援するサービスが広がっている

●主なサービスの内容

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人事データの効率的な収集・活用の重要性がより高まる

人事業務のDXを進めてデータを有効に活用していくことは、適材適所や最適な能力開発を行うためにも欠かせず、人的資本情報の開示が始まることで重要性がより高まっている。一人一人の保有スキルや業務経験、研修履歴などをきめ細かく把握したり、仕事の成果や業績への貢献などを適切に測定できなければ効果的な人材投資が行われているのかの評価は難しい。

人的資本経営に取り組む企業で人事データを効率的に収集する必要性が高まると見て、大手研修会社インソースは、255万人が利用するタレントマネジメントシステム「Leaf」の新サービス「Leaf人的資本管理」を2022年秋にリリースした。人的資本情報の開示を自社の強みをアピールできる機会と捉えて独自性のある指標を公表したいと考える企業の要望に応えるため、簡単に独自指標が作れたり、過去分も含めてさまざまなデータの取り込みや修正ができる機能を備えている。

例えば「親の介護が必要だから可能であれば実家と近い勤務地にしてほしい」といった社員の現況を示す情報を活発に吸い上げ蓄積して活用することも可能だ。同社は、人事のための情報管理システムとしてだけでなく、一人一人の働き方やキャリア形成の希望などに向き合ってタレントマネジメントを実現できるシステムを提供することが、社員のエンゲージメント向上につながると考えているからだ。

人材流出を防ぐために管理職の意識改革を急ぐ

ウェルビーイングが注目される背景には企業の深刻な人材不足がある。少子高齢化による労働力人口の減少に加え、コロナ禍のさまざまな規制が撤廃されて経済活動が再開したことで、人材獲得競争が一層激化しているからだ。

パーソルキャリアの中途採用調査によると、3月の求人数は前年同月比136.5 %。2020年9月 か ら31カ月連続で増加し過去最高値を更新した。

人材の奪い合いは新卒採用も同様だ。23年卒の採用で「採用予定数を充足できた」企業は40.4%で、22年卒に比べ11.8ポイント減少した(リクルート調べ)。採用市場で優位にある「5000人以上」の企業でも19.6ポイント減少した。「内定辞退が予定より多かった」(52.7%)、「選考応募者が予定より少なかった」(51.7%)が主な理由に挙がっている。

今後ますます人材採用が難しくなると予想されることから、人材流出を防ぐリテンション(定着)施策を強化し、エンゲージメントを高める必要がある。そのキーマンは職場のマネジメントを担う管理職だが、管理職の危機感は必ずしも高まっているとは言えないようだ。

パーソルホールディングスが人事担当者に聞いた「人的資本経営におけるエンゲージメントに関する企業の取り組み実態調査」によると、エンゲージメント向上に関する課題で「管理職層の課題認識が薄い」の回答が最も多かった。

エンゲージメントの低下は人材流出を招きかねない

●エンゲージメント向上に関する課題(複数回答)

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(出所)パーソルホールディングス「人的資本経営におけるエンゲージメントに関する企業の取り組み実態調査」

こうした結果を裏付けるように、インソースが実施している公開講座では、管理職向けの「離職防止研修~部下との良好なコミュニケーションを考える」の参加者が増えている。また、全ての管理職に効率的に学んでもらうことができる動画教材「健康経営シリーズ」の販売も好調で、管理職の意識改革を急ぐ企業の様子がうかがえる。

同社で研修コンテンツ開発の責任者を務める大畑芳雄執行役員は「管理職研修では、企業と働く人の関係性や若い人たちの価値観が大きく変わっていることを管理職が理解できるようにしてほしいという要望が多くなっています。今の管理職が経験してきたような厳しい言動で指導すると社員は退職してしまい、仕事が回らなくなるからです」と話す。

管理職が一人で悩みを抱え込まないための支援が必須

企業向けグループウエアを提供するサイボウズは働き方改革の先進企業として知られ、自社で培ったノウハウを積極的に発信している。

同社の取り組みを知った企業の相談を受け職場の実情に詳しいサイボウズチームワーク総研の和田武訓所長は「若手社員が突然辞めてしまうという声が増えています。一方、若手社員からは仕事やキャリアの悩みを相談できないという声が聞かれます。多くの企業が1on1を導入していますが、お互いが心理的に安心して話せる関係ができていないまま実施しても業務報告・指示の場になりがちです。管理職には、メンバーの主体性を引き出しチームのメンバーが共感できる理想をつくる役割が求められています」と強調する。

社員のエンゲージメント向上における管理職の責任は大きい。同時に管理職の負担も増している。リモートワークで働く様子は見えにくく、残業規制で部下の終わらない仕事をカバーしている管理職は少なくない。多くの仕事に追われる管理職へのサポートが不十分な企業では、管理職自身がメンタルヘルスの不調に陥ったり、退職しかねない。

こうした管理職を支援しようと、サイボウズ チームワーク総研が提案しているのが、日頃から感じている“もやもや”を共有するワークショップだ。“もやもや”を率直に伝えることでスッキリし、共感を醸成して帰属意識が高まったり問題解決につながるきっかけになると好評を得ているという。

ワークショップでは、働く上で大切にしたい価値観を書いた「わがままカード」を用いる。これによって、自身の思いを言語化しやすくなり相互理解を深めるのに役立つ。また、指示命令型のマネジメントからの転換をうながす効果も見られるそうだ。

ワークショップを管理職研修に組み込むことで、管理職同士のつながりができて気軽に相談し合える関係が築きやすくなり、このような管理職が一人で悩みを抱えこまないための支援が欠かせなくなっている。

サイボウズ
「わがままガード」を用いて、働く上で大切にしたい価値観を意識化する

また、和田氏はサイボウズでの経験から社内の前向きな取り組みを積極的に発信していくことは社員の定着や採用に大いに役立つと重要性を次のように説く。「経営トップのメッセージや取り組みがメディアを通じて社内外に伝わる効果は大きいと考えます。特に人材採用においてはカルチャーに共感する人を引きつけることができ、入社後のギャップが減り定着につながります」

キャリアパスを明確にして一人一人の活躍を引き出す

人的資本情報の開示で、今後は人材投資が企業価値向上につながることが評価されるようになる。これが公表されることは人事施策に対する注目が集まり、自社の魅力を伝えられるチャンスになる。開示に消極的な企業は評価されず事業継続が困難になる可能性が高まる。

人材戦略を支援するベリタス・コンサルティングの坂尾晃司代表は企業の対応について、「これまで多くの企業では人材育成を現場任せにしていたという感が否めません。今後は人的資本情報の開示義務化により、必要な人材をいつまでにどうやって確保するかという計画と達成状況がより厳しく問われるようになります。企業価値を高めるために戦略性を持って人材を育てないと投資家にアピールできないため、市場の評価を意識する経営者や人事責任者からの相談が寄せられています」と話す。

一方、社内でも事業戦略に必要な人材を見極めて投資したり、魅力的な処遇を提供できなければ意欲の高い社員ほどやる気を失ってしまう。

「社員に上位のポジションや難しい課題に挑戦させるためには、仮に失敗したとしても元のポジションに戻れるなど、再チャレンジの安心感を与えることが欠かせません。また、キャリアパスが明確になっていないと社員は必要なトレーニングや職務経験が分からず、採用時も応募者に魅力を伝えられません。事業や職務によって必要なスキルやキャリアパスは異なりますので、事業戦略と人材戦略をつなぐHRBPの役割がより重要になると思います」(坂尾氏)

持続的に企業価値を高めていくためには、良好な職場環境、適切な人事評価や能力開発の仕組みを整え、社員のエンゲージメントを高めることが急務となっている。

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