相次ぐ初任給アップでも中高年社員の賃金は減少、今起きているジョブ型賃金制度のカラクリ

溝上 憲文 人事ジャーナリスト
新聞、ビジネス誌、人事専門誌などで経営、ビジネス、人事、雇用、賃金、年金問題を中心に執筆活動を展開。近著に、「人事評価の裏ルール」(プレジデント社)など。

2022年、新卒初任給が大幅アップしたとの報道が注目を浴びた。しかし、一方で賃金が上がらないと嘆く声も多く聞かれる。今回は、初任給アップの裏に隠された日本の賃金の構造変化について説明していく。(文:日本人材ニュース編集委員 溝上憲文、編集:日本人材ニュース編集部

上がる物価、上がらない賃金

円安による輸入価格の高騰やエネルギー価格上昇で消費者物価が上がり始めている。6月の消費者物価指数が前年同月比2.2%上昇した(総務省)。10カ月連続の上昇となり、伸び率は消費増税の影響があった2015年3月(2.2%)以来、7年1カ月ぶりの高水準になった。

それに追いついていないのが賃金だ。今年の春闘の平均賃上げ率は労働組合の中央組織の連合の最終集計結果によると2.07%(6004円)だった(7月5日発表)。3年ぶりに2%台になったものの、それを上回る勢いで物価が上がり続けている。厚生労働省の毎月勤労統計調査によると、物価等を加味した4月の所定内給与の実質賃金は前年同期比マイナス1.6%、5月もマイナス1.4%に落ち込み、上がる気配がない。

全体の賃金水準は1997年をピークに長期低落傾向にあり、97年を100とした個別賃金指数は2020年は95にとどまり、賃金が上がらない状況が続いている(連合調べ)。

賃金が上がらない背景については、経済停滞説、株主配当優先・内部留保説、労働運動停滞説など、諸説ある。しかし、働く人たちにとって最も重要な日本の賃金の構造変化に目を向けるべきだろう。

中高年社員の減った賃金はどこへ?

実は賃金の構造変化はすでに2000年以降徐々に進行している。年齢階級別の賃金カーブを見ると、20~24歳の所定内賃金を100とした時の50~54歳の賃金は1995年の223.9(男性)をピークに下がり続け、2020年は197.9にまで落ち込んでいる(厚生労働省「賃金構造基本統計調査」)。

全体の賃金水準が停滞している以上に中高年社員の賃金減少率が高い。年功的賃金の衰退と言えば分かりやすいが、では総額人件費が変わらないとすれば、中高年の減った賃金はどこに行ったのか。考えられるのは高齢社員と若年世代の賃金への充当だ。

労働経済学者の多くが指摘するのは定年後再雇用によって退職年齢が60歳から65歳へと5歳延びたことで中高年の賃金を減らし、そちらに振り分けたとする説だ。そしてもう1つが初任給アップに見られる若年世代の給与アップである。

東芝、日立、NEC、ダイキン、大成は新卒初任給を大幅アップ

とくに今年の新卒初任給は軒並みアップしている。2月末にバンダイが22万4000円の初任給を今年4月から30%増の29万円に引き上げると発表し、メディアでも注目を浴びた。バンダイ以外でも「獺祭」で有名な旭酒造が大卒初任給を9万円増の30万円に引き上げている。

初任給を巡っては4月の春闘でも異変が起きた。大手電機メーカーの東芝、日立製作所、NECの労働組合が大卒初任給の2000円の引上げを要求した。普通なら満額回答すらあり得ないところだが、3社は1万円の大幅引き上げを回答した。

そのほかの企業でも、ダイキン工業が1万円増の23万5000円、大手ゼネコンでは大成建設が1万円増の25万円にアップしている。

こうした企業だけではない。労務行政研究所の「2022年度新入社員の初任給調査」(東証プライム上場企業165社の速報集計)によると、「全学歴引き上げ」が41.8%。昨年同期の速報集計時の17.1%から20ポイント超も上昇し、過去10年で最高となった。

大企業の半数が大卒初任給を引き上げへ

大学卒を引上げた企業は48.8%。初任給の水準は大学卒(一律設定)21万6637円、大学院卒修士23万4239円だ。これは大企業であるが、産労総合研究所の「2022年度決定初任給調査」(7月5日発表)でも初任給を引き上げた企業は21年の29.8%から41.0%に増加。大学卒は21万854円、修士卒23万840円だった。

企業規模別(大学卒)では従業員1000人以上が前年比2422円増の21万7269円、300~999人が1400円増の21万330円、299人以下が613円増の20万7134円。大卒の初任給が21万円時代に入ったといえる。

初任給を上げる理由について前出の産労総合研究所の調査で聞いているが、多かったのは「人材を確保するため」(63.2%)と「在籍者のベースアップがあったため」(45.6%)の2つだった。確かに賃金の底上げであるベースアップを実施すると、その分を上乗せすることになり、初任給も上げる必要があるだろう。また、優秀な人材を確保策として魅力的な初任給を提示するのも有効な採用戦略の1つだ。

初任給アップでも全体の人件費が上がらないカラクリとは

しかし初任給を大幅に上げてしまうと、その影響は在籍者にも及ぶ。多くの会社には勤務年数や能力・経験に基づく「賃金テーブル」があり、例えば初任給を5万円引き上げると入社2年目以降の社員の社員全体の賃金を上げる必要がある。つまり会社にとっては人件費の大幅アップにつながるが、前述したように初任給アップに見合う全体の賃上げにつながってはいない。

そのカラクリは”脱年功賃金”による賃金制度の改革にある。実は2000年以降、一部の大手企業や振興企業では、一般従業員・主任・係長・店長・課長クラスなど組織編成上の役割責任を定義し、評価する役割給制度に移行する企業が増えていた。さらにジョブ・ディスクリプション(職務記述書)を作成し、職務評価を実施してジョブグレードをつくり、グレードの賃金水準を世間相場に紐付ける職務給を導入する企業も増えていった。今流行しているジョブ型賃金である。

ジョブ型賃金と役割給制度の導入で、仕事基準で給与が決まる

つまり、従来の勤続年数や能力・経験など「人基準」によって昇給していく仕組み(職能給)を廃止し、職務や役割など「仕事基準」で給与を決める仕組みだ。どんな職務・役割を担当しているかという仕事の内容と難易度によって給与が決まる。同じ職務に留まっている限り、25歳と40歳の給与は変わらない。給与を上げようと思えば、がんばって職務レベルを上げるか、給与の高い職務にスイッチするしかない。

しかも日本の職務・役割給は欧米の職務給と違い、固定ではない。職責を果たせなければ管理職でも降格・降給が発生する仕組みだ。

たとえば役割給を導入した大手精密機器メーカーでは導入3年目に管理職層300人が昇格する一方、150人が降格。40歳の管理職層で約450万円程度の給与格差が発生している。

ちなみに今年初任給を1万円引き上げた日立製作所やNECはジョブ型雇用を標榜する企業だ。東芝も役割や職務で賃金を決める「役割等級制度」を2020年4月から導入している。2021年にやはり初任給を1万円引き上げた富士通もジョブ型人事制度の導入で有名だ。職務給を導入すると、初任給だけではなく優秀な中途採用者を既存の社員より高い報酬で迎えることも可能になる。

初任給が高い場合は要注意?給与を上げるために必要なこと

一方、同期や同年齢の社員間の賃金格差も拡大する。賃金コンサルタントは「属人的な職能給と仕事給は水と油の関係にある。職能給は人の能力形成に応じて処遇が向上していくが、職務給に移行すると従来のもらえた賃金は保障されない。

自ら仕事をつかんでキャリアアップしていかない限り、給与が上がらない。若いときに専門職としてハイグレードの給与の高い仕事に就いても、40代になって専門性が陳腐化し、専門職としてキャリアアップできなければ給与が増えない。給与を上げるには管理職になる道もあるが、それも難しければ転職するしかなくなってしまう」と語る。

たとえ高い初任給でもその後も上がり続ける保障はない。総額人件費が変わらず、賃金が上がらない状態が続く中、賃金制度の変更は中高年の賃金の抑制にとどまらず、社員全体の賃金にも大きく影響することになる。

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溝上憲文

人事ジャーナリスト/1958年生まれ。明治大学政経学部を卒業後、新聞、ビジネス誌、人事専門誌などで経営、ビジネス、人事、雇用、賃金、年金問題を中心に執筆活動を展開。主な著書に「隣りの成果主義」(光文社)、「団塊難民」(廣済堂出版)、「『いらない社員』はこう決まる」(光文社)、「日本人事」(労務行政、取材・文)、「非情の常時リストラ」(文藝春秋)、「マタニティハラスメント」(宝島社)、「辞めたくても、辞められない!」(廣済堂出版)。近著に、「人事評価の裏ルール」(プレジデント社)。

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