「AIなんかに逃げるな」と言われた社員は、黙って辞める。AI時差退職の本音とは【だから社員は辞めていく】

「画面共有のやり方がわかりません」。操作の手順をチャットで送り返し、会議の資料は今も紙に印刷して社内で回覧する。そんな職場で、その社員は一人だけ、業務にAIを深く組み込んで働いていました。このズレは、いつ退職の引き金に変わるのでしょうか。

今回は、地方に本社を置くメーカーで8年間マーケティングを担ってきた社員(Aさん・40歳前後)と、キャリア相談者・佐野創太氏との相談の様子を通じて、退職を考える社員のリアルな心境と思考プロセスを佐野氏に連載で解説してもらいます。

佐野氏は退職学®︎(resignology)の研究家としてこれまでに1500人以上のキャリア相談を実施し、20〜50代の幅広い社員の本音に触れ続けています。その経験を『脱会社辞めたいループ』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)、『70%で働く』(日経BP)、『思考渋滞から抜け出す方法』(あさ出版)などの著書にまとめています。

他にもエース社員の退職を防いで「選手層の厚い組織づくり」を支援したり、オウンドメディアや採用広報などの情報発信の生産性と創造力をあげるAI編集長としても活動しています。働く人、組織作り、事業の3つの視点を持っています。 今回のテーマは、社員と会社の間に生まれる「AI時差」です。同じオフィスで同じ時計の下にいるはずなのに、片方はもう次の時間を生きている。そのズレに最初に耐えられなくなるのは、社内でいちばん仕事の速い人です。

なぜ「AIなんかに逃げるな」という一言が退職につながるのか、その内側を一緒に見ていきましょう。(文:佐野創太、編集:日本人材ニュース編集部)

※プライバシー保護のため、相談者の名前・性別・年齢・所属企業名等は編集しています。

「一人で5人分」働く社員に、会社の時計は遅すぎる

「『AIなんかに逃げるな』と言われる環境には、もう戻りづらいんです」

そう語るAさんの声には、不満というより落ち着いた確信がありました。私(佐野)は、この確信のなかにこそ退職の入り口があると感じています。声を荒げる人よりも、淡々と言い切る人のほうが、気持ちは遠くまで進んでいるからです。

Aさんは個人で複数のAIツールを日常業務に組み込み、文章の下書きや情報の整理、資料の骨子づくり、調べものの一次整理をこなしています。同僚に頼まれた業務の自動化も始めています。「一人で5人分くらいの仕事はできてしまう」と語るほど、働き方の前提そのものが以前とは変わっていました。朝、席に着いてまず開くのはAIの画面で、それが当たり前の日常になっています。

一方、勤務先で公式に使えるのはある生成AIだけです。上層部を中心に「そもそも使う必要がない」という考えが根強く、AIを使っていると「AIなんかに逃げるな」と言われることもあります。会議中に上司のスマートフォンが鳴り続け、通知の切り方をAさんが横から伝える。画面共有のやり方をチャットで送り、会議資料は紙に印刷して本社から回覧していく。怠けているわけではありません。製品を一つずつ手で確かめて世に出してきた会社には、このやり方で回ってきた歴史があります。

約350人規模の、地方に根を張る同族系のメーカーです。社内の中心はつくる人と企画する人で、マーケティングを担う人はAさんを含めてごくわずか。新しい道具の話ができる相手は、社内にほとんどいませんでした。

海外出張から戻った翌朝を思い出してください。体は日本にいるのに、頭はまだ向こうの時間で動いている。電話はつながり会話もできるのに、生活のリズムがかみ合わない。Aさんと会社の関係は、ちょうどこの状態でした。いわば「AI時差」です。

差がついたのは能力ではなく、使っている時計です。Aさんは周囲を見下しているわけではありません。

「できることはやっているんですが、教えられる能力が私に足りないんです」

この言葉には、諦めと深い孤独がにじんでいました。先へ進んだ人ほど、振り返ったときの距離の大きさに気づき、その距離が自分一人の努力では埋められないと悟ります。ここから「この会社の時間に、自分はもう合わせられないのかもしれない」という感覚が生まれてきます。 では、この時差は放っておけば縮まるのでしょうか。それとも開き続けるのでしょうか。答えは、次に見ていく「なぜ人は辞めるのか」ではっきりしてきます。

人は不器用な上司では辞めない。「使う必要がない」で辞める

先に結論をお伝えします。社員が会社に見切りをつけるきっかけは、上司がデジタルに不慣れなことではなく、「使う必要がない」という組織全体の合意のほうです。

この違いは大事です。人は不器用な上司に幻滅して辞めるわけではないのです。

問題は、その先にあります。「今は使わなくていい」「うちには必要ない」と、組織が変わらないことを前提に置いてしまう。

「AIなんかに逃げるな」という一言は、その前提が言葉になって表に出たものです。その合意が空気として固まると、先へ進んだ社員は「この場所では時間が動かない」と受け取ります。

Aさんの手元では一人で数人分の仕事が進むのに、会社はその速さを使わないと決めている。差は埋まるどころか、毎日少しずつ開いていきます。道具を使いこなす人ほどその開きに敏感で、意欲のある人ほど会社の時計が止まって見える。残ってほしい人から順に、時間の距離が離れていくのです。

もう一つ見落とされがちなのは、待たされること自体が大きなコストになる点です。自分の手元では一日で終わる仕事が、社内の承認や共有のリズムに合わせると一週間かかる。その落差が積み重なると、「ここにいる限り自分の速度は出せない」という実感に変わります。能力を持て余す時間ほど、人を消耗させるものはありません。

念のため補足すると、これは「AIを入れていない会社は失格だ」という話ではありません。どこまで使うかは業種や商材、顧客との関係で最適解が変わります。問題は導入率ではなく、「変える余地はない」と会社が態度で示してしまうことです。社員が見ているのはツールの数ではなく、変わる意思があるかどうかなのです。

実はこれはいつか見た景色でもあります。コロナ禍でのリモートワークもそうでした。新しい技術が出てくるたびに繰り返されていることです。 人は道具が古い会社から去るのではありません。この先も時間が動かないと感じた会社から離れていきます。

不満を言わなくなった社員は、昼休みに求人を保存している

昼休みに求人サイトを開き、ピンときた求人をブックマークに貯めていく。「まだきちんと精査もできていないんですけど」と言いながらも、ストックは少しずつ増えていました。

「年内を目安にできたらと思っています」「だらだら続けるよりは、区切りを決めたほうがいいかなと思って」。語り口に焦りはありません。今の会社でも生活は続けられるし、すぐに逃げ出さなければならない事情もない。むしろ気持ちには余裕がありました。

この余裕が、引き留めをいちばん難しくします。追い詰められた末の退職なら、残業を減らしたり配置を変えたりすることで考え直してもらえる場合があります。けれど余裕のあるうちに次を探し始めた人の意思は、固まっていることが多いのです。実際にAさんも「心の中では、もう確定しています」と語っていました。8年はその人にとって最長の在籍期間で、その積み重ねの上での決断でした。

象徴的なのは、Aさんが「副業ができるといい」と口にしていたことです。会社の外にもう片方の足を置ける状態を求めている。一社にすべてを預ける生き方から軸足を移し始めているサインで、心が会社の外の時間へ向き始めると、辞意は後戻りしにくくなります。 声が大きくなったときではなく、声が小さくなったときこそAI時差は限界に近づきます。ここが見えてくると、面談で何も言わなくなった社員ほど、心はもう遠くにあるのかもしれないと思えてきます。

AI時差を縮めるのは、社内でいちばん先の時間にいる人

全社のIT環境をいっぺんに入れ替えるのは、予算の面でも人の面でも簡単ではありません。現場には現場の事情があり、慎重になるのにも理由があります。私も多くの会社で、その悩みを聞いてきました。

ただ、AI時差を縮めるのに、全員を一度にそろえる必要はありません。必要なのは、社内でいちばん先の時間にいる一人に「やり方を見せてくれませんか」と声をかけることです。会議の五分で画面を映してもらう。使っているツールをひとつ教わる。それだけで、止まって見えていた時計の針が動き始めます。動いた針は次に迷っている誰かの目にも映ります。 相談を通じて見えてきたのは、社員が求めているのは最新の道具そのものではないということです。求めているのは「この会社の時間はこれから動いていく」という確かな実感です。その実感は制度や予算より先に、今日の一言から生まれます。


佐野創太

佐野創太

1988年生。慶應義塾大学法学部政治学科卒。大手転職エージェント会社で求人サービスの新規事業の責任者として事業を推進し、業界3位の規模に育てる。 介護離職を機に2017年に「退職学®︎」の研究家として独立。 1400人以上のキャリア相談を実施すると同時に、選手層の厚い組織になる”リザイン・マネジメント(Resign Management)”を50社以上に提供。 経営者・リーダー向けの”生成AI家庭教師”として、全社員と進める「ゼロストレスAI術」を提供する他、言葉を大切にするミュージシャン専門のインタビュアーAIを開発している。著書に『「会社辞めたい」ループから抜け出そう!』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)、『転職・退職を考えたら知りたいことが全部のってる本』(主婦の友社)、『70%で働く』(日経BP)がある。


【佐野創太氏のこれまでの連載】

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佐野創太

1988年生。慶應義塾大学法学部政治学科卒。大手転職エージェント会社で求人サービスの新規事業の責任者として事業を推進し、業界3位の規模に育てる。 介護離職を機に2017年に「退職学®︎」の研究家として独立。 1400人以上のキャリア相談を実施すると同時に、選手層の厚い組織になる"リザイン・マネジメント(Resign Management)”を50社以上に提供。 経営者・リーダー向けの”生成AI家庭教師”として、全社員と進める「ゼロストレスAI術」を提供する他、言葉を大切にするミュージシャン専門のインタビュアーAIを開発している。著書に『「会社辞めたい」ループから抜け出そう!』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)、『転職・退職を考えたら知りたいことが全部のってる本』(主婦の友社)、『70%で働く』(日経BP)がある。

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