優秀な社員ほど、会社に長く根を張ってくれない。引き留めようとしても、どこか一線を引かれているように感じる。「なぜ、うちに本気になってくれないのか」。そんな戸惑いを抱える人事担当者や管理職の方は少なくないはずです。かといって、やる気がないわけではない。むしろ仕事には没頭している。それなのに、会社そのものへの帰属となると、すっと距離を取られてしまう。この一線は、どこから来るのでしょうか。
今回は、将来の独立を視野に入れながら転職活動を進める30代のWさんと、キャリア相談者・佐野創太氏との相談の様子を通じて、退職を考える社員のリアルな心境と思考プロセスを佐野氏に連載で解説してもらいます。
佐野氏は退職学®︎(resignology)の研究家としてこれまでに1500人以上のキャリア相談を実施し、20〜50代の幅広い社員の本音に触れ続けています。その経験を『脱会社辞めたいループ』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)、『70%で働く』(日経BP)、『思考渋滞から抜け出す方法』(あさ出版)などの著書にまとめています。
他にもエース社員の退職を防いで「選手層の厚い組織づくり」を支援したり、オウンドメディアや採用広報などの情報発信の生産性と創造力をあげるAI編集長としても活動しています。働く人、組織作り、事業の3つの視点を持っています。
Wさんは、3つの求人を前にして迷っていました。しかしその迷い方をよく聞くと、Wさんは会社を「入って何を任されるか」ではなく、「ここから何を持ち出せるか」で見ていたのです。私(佐野)はこの見方を”持ち出し就職”と呼んでいます。この視点に立ったとき、会社の求人票も育成制度も、まったく違う意味を帯びて見えてきます。 会社が「染まってほしい」と願うほど、”持ち出し就職”の社員の心は静かに離れていく。その擦れ違いがどこで生まれるのかを見ていきましょう。(文:佐野創太、編集:日本人材ニュース編集部)
※プライバシー保護のため、相談者の名前・性別・年齢・所属企業名等は編集しています。

社員は入社の時点で「持ち出すもの」を決めている
「あんまり興味が持てないところは、一旦出さないようにしていて。熱量を持ってできるところだけにしています」
転職活動の近況をたずねた私に、Wさんはそう話しました。応募先を絞ったことで、以前より書類選考の通過率が上がってきたと言います。興味を持てない求人には、そもそも応募しない。強気にも聞こえるこの方針を、Wさんは冷静な戦略として選んでいました。
たとえばある会社について、Wさんはこう評価していました。商品の企画から販売、その後の回収まで、全工程を自社で手がけている。だから、ものを作って売り切るまでの流れを丸ごと経験できる。将来の独立を考えるWさんにとって、これは強い魅力でした。営業だけ、マーケティングだけを切り出した仕事ではなく、事業の全体像を持ち出せる。その一点に価値を感じていたのです。
私はこの見方を”持ち出し就職”と呼んでいます。会社を「所属する場所」ではなく、「経験を持ち出す場所」として選ぶ。独立や起業を視野に入れた社員に、はっきりと表れる就職観です。
ここで一つ、先に申し上げておきたいことがあります。持ち出し就職の社員を「ドライだ」「うちへの愛着がない」と感じるのは自然なことです。しかしこれは、会社が何かを致命的に間違えているという話ではありません。むしろ、成長できる環境を正当に用意し、それを社員が正しく見抜いているからこそ起きる現象でもあります。 問題は、愛着の有無ではありません。会社が社員に何を期待し、社員が会社に何を求めているのか。その二つが噛み合っているかどうかです。そしてこの噛み合わせは静かにずれていきます。
「染まってほしい会社」と「持ち出したい社員」のすれ違い
すれ違いはある一言から見えてきました。
「選考の途中で、社長の本を読みましたかって聞かれたんです。読んでいなかったので急いで読みました」
Wさんが検討していた会社の一つは、創業者の考え方を色濃く反映した組織でした。独自の育成研修があり、第一線のプレイヤーが直接指導する。未経験者でも一人前になれるよう、学ぶ道筋がきれいに整えられている。入社すれば、その会社のやり方を体系立てて吸収できる。恵まれた部類です。
ここで結論を先に言います。整った育成環境は、持ち出し就職の社員にとって魅力であると同時に警戒の対象にもなります。
「自分なりに仮説を立てて、試して、検証する。そういう仕事の仕方に慣れているので、会社の型と自分の考えがずれたとき、どれくらいの頻度でどれくらい大きくぶつかるのかが、ちょっと怖い」
会社の型がしっかりしているほど、社員が自分の頭で工夫できる余白は狭くなります。決められたやり方を覚える速度は上がる。けれど、ゼロから考えて持ち出せる経験は、その分だけ減っていく。Wさんが恐れていたのは、労働環境の厳しさではありません。「自分の考える力がこの型に染まって薄れていくこと」でした。
会社は「うちのやり方に染まってほしい」と願います。それは、組織の強さを保つための正当な願いです。一方で持ち出し就職の社員は、「染まりきる前に持ち出せるものを持ち出したい」と考えます。
どちらも正しい。正しいがゆえに噛み合いません。
会社が「もっと染まってほしい」と手をかけるほど、社員は「持ち出せる時期を過ぎてしまう」と感じて焦る。会社の愛情が社員の離脱を早めることさえあります。すれ違いの厄介なところは、どちらかが悪いわけではない点です。善意と善意が、逆を向いているだけなのです。 Wさんは、この会社を否定していませんでした。むしろ「体系化された知識を一度ガツッと入れたい人にはすごくいい」と評価していました。ただ、それが「今の自分の優先順位と合うのか」を測りかねていたのです。染まって腰を据えるのか、持ち出して次へ向かうのか。その問いの答えがまだ出ていませんでした。
持ち出し就職の社員を戦力にできる会社、逃す会社
面談の後半、私はWさんに一つの問いを向けました。
「Wさんは、会社を愛せますか」
少し沈黙がありました。やがて返ってきたのは、正直な答えでした。
「愛せない。ですね」
突き放した響きではありませんでした。むしろ、自分と会社の距離を誠実に測ろうとする声でした。私は続けてどんな会社なら愛せそうかを聞きました。
「自由でゆっくり時間が流れる会社ですかね」
この答えは、検討中の求人の性格をくっきりと浮かび上がらせました。整った型を持つ会社は、時間がゆっくり流れる場所ではありません。むしろ、頑張れ頑張れと背中を押し続ける熱量の高い環境です。Wさんの希望とその社風は逆を向いていました。
ここで見えてくるのは、持ち出し就職の社員を戦力にできるかどうかは、待遇でも知名度でもないということです。分かれ目は、会社がその社員の「持ち出したいもの」を理解し、任せられるかにあります。
同じ社員がある会社では輝き、ある会社ではくすぶります。Wさんは商品への共感が持てる領域では成果も出るし人間関係もうまくいくと語っていました。逆に、興味を持てない商材では気力が続かない。かつてのBtoBの仕事では、そもそも没入しきれなかったとも振り返っていました。
つまり、持ち出し就職の社員にははっきりした「熱の乗る条件」があります。そこを見極めれば戦力にできる。見誤れば早期に逃す。
会社側が見落としやすい兆候をいくつか挙げておきます。
・「この仕事で何が身につくか」を、面接でくり返し確認してくる
・待遇よりも、任される範囲の広さや裁量に反応する
・商品やサービスへの共感をはっきり言葉にする
・「いつまでに何を得たいか」という期限つきの目標を持っている
これらは忠誠心の薄さのサインではありません。「持ち出したいものが明確な、意欲の高い社員」のサインです。裏返せば、その持ち出したいものを社内で満たせたときに彼らは最も力を発揮します。 問題は、こうした社員を前にしたとき、会社が「どうすれば長くいてくれるか」だけを考えてしまうことです。引き留める発想だけでは、持ち出し就職の社員の心はつかめません。問うべきは「この会社にいる間に何を持ち出させてあげられるか」です。
おわりに:持ち出される前提で、何を託せるか
持ち出し就職の社員は、いつか去るかもしれません。
この事実は、会社にとって痛みを伴います。手をかけて育てた人材が、経験を抱えて次へ向かう。割に合わないと感じるのも、無理はありません。
とはいえ、多くの管理職はこう思うはずです。「そんな社員のために、わざわざ持ち出せる経験を用意する余裕はない」。その通りです。人員にも予算にも限りがある中で、去るかもしれない社員に投資しろというのは、きれいごとに聞こえるでしょう。
すべてを変える必要はありません。
これは会社が持ち出し就職の社員に振り回されるべきだという話でもありません。愛社精神を植えつけようと躍起になる話でもありません。ただ、一つだけ発想を変えてみる余地はあります。
「どうすれば辞めないか」ではなく、「いる間に何を託せるか」。
この問いに立つと、持ち出し就職の社員は任された経験に本気で応えます。彼らにとって仕事は、持ち出す価値のある資産だからです。託した経験の分だけ、在籍期間中の働きは濃くなる。結果として選手層の厚い組織に近づいていきます。
去る社員を惜しむのではなく、いる間の密度を上げる。その小さな一歩が持ち出し就職の時代における現実的な組織づくりの入り口になります。 彼らが何を持ち出したいのか。まずは一度聞いてみることから始まります。

佐野創太
1988年生。慶應義塾大学法学部政治学科卒。大手転職エージェント会社で求人サービスの新規事業の責任者として事業を推進し、業界3位の規模に育てる。 介護離職を機に2017年に「退職学®︎」の研究家として独立。 1400人以上のキャリア相談を実施すると同時に、選手層の厚い組織になる”リザイン・マネジメント(Resign Management)”を50社以上に提供。 経営者・リーダー向けの”生成AI家庭教師”として、全社員と進める「ゼロストレスAI術」を提供する他、言葉を大切にするミュージシャン専門のインタビュアーAIを開発している。著書に『「会社辞めたい」ループから抜け出そう!』(サンマーク出版)、『ゼロストレス転職』(PHP研究所)、『転職・退職を考えたら知りたいことが全部のってる本』(主婦の友社)、『70%で働く』(日経BP)がある。











