賃上げの原資はどこから? 大幅アップの最低賃金改定により中小企業が迫られる決断

最低賃金改定により、2023年度の全国平均は国が想定した1002円を上回り1004円となった。深刻な人材不足に対応するため、賃上げが求められている。しかし、賃上げを行うにはもちろん原資が必要だ。果たしてその原資はどこから捻出するのか、企業の苦悩について取材した。(文:日本人材ニュース編集委員 溝上憲文、編集:日本人材ニュース編集部

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最低賃金改定、現行制度スタート以来の最高額

今年の春闘での賃上げに続き、第2弾ともいえる10月からの最低賃金改定による賃金の引上げを迫られている。

7月29日に中央最低賃金審議会は各都道府県をA、B、Cのランクに分けた最賃額改定の目安を示した。具体的にはAランク41円、Bランク40円、Cランク39円だ。この目安に基づいて各都道府県の最低賃金審議会で決定される。

その結果、都道府県の最賃額は、Aランクの東京都は1072円から41円アップし1113円、神奈川も1071円から1112円に決定し、他のAランクの埼玉、千葉、愛知、大阪も1000円を超えることが決定した。

また、Bランクの京都、兵庫も初の1000円を超えた。とくに兵庫は目安の40円を1円上回る41円アップとなった。兵庫だけではない。佐賀は目安を8円も上回る48円となり、山形、島根、鳥取も目安を7円も上回っている。そのほか、青森、大分、熊本、沖縄など計24県で目安以上のアップで決定し、全国の加重平均は目安の1002円を超えて1004円。 1978年度に中央最低賃金審議会が引き上げの目安を示す現行の制度がスタートして以来の最高額となった。

賃上げは人材確保の面でやむなし

最賃の引き上げで最も深刻な影響を受けるのが最賃近傍の賃金を設定している中小企業だ。しかし目安を上回る引き上げを実施した県の審議会では、人手を確保するにはやむなしという意見も多くあったようだ。

春闘の賃上げは労働組合の連合の集計では、従業員の300人未満の中小企業は1.96%、4982円増と健闘した。その背景にも深刻な人手不足がある。

流通系の産業別労働組合の幹部は「組合ごとの妥結額を見ていると、業績も良くないのにどうして賃上げができたのだろうという会社もある。おそらく引き抜きなどで転職する人が出ているのかもしれない。とにかく人材を確保しないといけないという危機感が経営者にあり、思い切って賃上げした企業も多い」と語る。

高卒者の採用難、理由は大学進学と早期退職

もちろん人手不足は中小企業だけではない。大手企業でも大卒者だけではなく、高卒者の採用が厳しい状況にある。

幹部は「大手企業では昔は工業高校卒業者で1番成績が良い人はこの会社、2番はこの会社に行くという序列が地元では決まっていた。しかし今では工業高校を卒業後は大学に進学するケースが多い。高卒者のために社員寮を拡充し、全国から集める努力をしている大手企業もあるが、中小企業はもう高卒者で新卒採用は無理と諦めている状態に加えて、むしろどんどん辞めていく現実もある」と語る。

ただし、大手は賃上げによって社員を引き留める余力はあるが、中小は大手と同じように賃上げができる企業ばかりではない。

帝国データバンクの調査(8月9日)によると、最賃引き上げを受けて対応する企業は83.2%に上る。 対応策としては「もともと最低賃金よりも高いが、賃上げを行う」企業が46.5%と最も多かった(複数回答)。次に「最低賃金より低くなるため賃上げを行う」(25.0%)、「従業員のスキル向上の強化」(24.0%)、「商品やサービスの値上げ」(21.3%)、「人件費以外のコスト削減」(19.0%)と続く。

人件費の賃上げ分を捻出するには、価格転嫁が必要

賃上げを行うにしても単に最賃を超えれば人が集まるというわけではない。同調査時点の採用時の最も低い時給の平均は1086円だった。業界別では不動産1209円、建設1138円、サービス1123円となっている。今回の最賃の全国の加重平均が1004円になったことを考慮すると、少なくとも100円程度上乗せした時給にしないと人材を獲得できない可能性がある。

しかし、中小企業が人件費を捻出するのは容易ではない。すでにコスト削減など雑巾を絞るだけ絞っている現状では、商品やサービスの値上げによる価格転嫁を行う必要がある。

大企業や取引先への価格転嫁ができるかがカギを握るが、前出の産別組合の幹部は「今年の春闘では経営自体が苦しく、大企業や取引先に製品の価格転嫁ができなかったところは賃上げ回答が出なかった。価格転嫁ができたところは一定の賃上げができている」と語る。

実は政府や中小企業庁はエネルギー価格や原材料価格の高騰を背景に価格転嫁や取引の適正化を呼びかけている。中小企業庁が6月20日に公表した「価格交渉促進月間(2023年3月)フォローアップ調査」によると、直近6カ月間のコスト上昇分のうち「10割」を価格転嫁できた企業は20.6%、「9割、8割、7割」の企業は18.7%、「6割、5割、4割」が10.5%、「3割、2割、1割」が18.3%だった。コスト上昇分の価格転嫁率は47.6%(コスト全体)である。一方、「全く転嫁できない」が21.4%、「減額された」が2.1%と計23.5%もあり、転嫁できた企業とできない企業の二極化が進行している。

前出の産別組合の幹部は「これまで大企業から理不尽な値下げ要求を求められてきた企業も多い。それでも今回は物価上昇が続き、価格転嫁できなければ、従業員の生活どころか会社も継続できない状況にある。中小企業の中には取引先に製品価格の値上げを粘り強く交渉し、ある程度引上げを実現した企業もあれば、最初から相手にされない企業もある。あるいは交渉してもどうせ無理だろうと諦めている企業もある」と語る。

中小企業が人手不足倒産を免れるには?

価格転嫁に対する頑なな態度が中小企業の賃上げを阻んでいる構図が浮かび上がる。また、仮にエネルギー価格や原材料価格の値上げに応じても、労務費の価格転嫁が実現できなければ賃上げの原資は生まれない。

前出の中小企業庁の調査でコスト別の転嫁率の内訳は、原材料費については48.2%、エネルギーコストは35.0%、労務費は37.4%という結果になっている。

労務費の価格転嫁について前出の産別幹部は「大企業の経営者の中には、労務費は生産性を向上させるという企業努力によって上げていくべきであり、価格に転嫁するようなものではないという認識がいまだにある。しかし、中小企業はこれまで乾いた雑巾を絞られるような状態でやってきており、価格転嫁してもらわないと賃金は上げられないし、従業員の生活も支えきれない」と語る。

価格転嫁による賃上げができなければ従業員の離職リスクも高まり、人手不足倒産も現実になる。前出の帝国データバンクの調査では「最低賃金の引上げは全体の所得の底上げになり良いことだと考えるが、対応できない多くの中小企業が廃業・淘汰されるのではないか」(機械製造)という声も上がっている。

大企業や取引先に製品やサービスの価格転嫁を要請し、賃上げすることが、社会的に許容されつつある。取引先に「価格を上げてくれ」、あるいは従業員に「賃上げできないから我慢してくれ」と言うのと、どちらがつらいのか。 経営者にとっては、今回の最賃の引き上げや来年の春闘にかけて苦しい決断を迫られる時期が続く。

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溝上憲文

人事ジャーナリスト/1958年生まれ。明治大学政経学部を卒業後、新聞、ビジネス誌、人事専門誌などで経営、ビジネス、人事、雇用、賃金、年金問題を中心に執筆活動を展開。主な著書に「隣りの成果主義」(光文社)、「団塊難民」(廣済堂出版)、「『いらない社員』はこう決まる」(光文社)、「日本人事」(労務行政、取材・文)、「非情の常時リストラ」(文藝春秋)、「マタニティハラスメント」(宝島社)、「辞めたくても、辞められない!」(廣済堂出版)。近著に、「人事評価の裏ルール」(プレジデント社)。

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