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2024年 人事の課題 政府の賃上げ要請と労働関連法改正への対応

2023年春闘では30年ぶりの大幅賃上げ、そして大卒初任給の高騰も話題となった。24年も引き続き賃上げの機運が高まっており、人材確保に危機感のある企業は、さらなる対応が求められるだろう。 (文・溝上憲文編集委員)

30年ぶりの大幅賃上げも実質賃金はマイナス続く

2024年の最初のイベントは春闘の賃上げだ。23年の春闘では30年ぶりの大幅賃上げとなったが、24年も引き続き賃上げの機運が醸成されつつある。

物価の高騰を受けた23年の春闘の賃上げ率は連合の発表で前年比3.58%。額にして1万560円だった。一方、23年11月28日に厚生労働省が「令和5年賃金引上げ等の実態に関する調査」(常用労働者100人以上、1901社)を公表した。この調査は労働組合のない企業が約8割を占めるが、賃上げ率は3.2%(前年1.9%)。前年より1.3ポイント増え、現在の調査方法となった1999年以降で最も高かった。引き上げ額は9437円(同5553円)で、連合の集計より低いが、賃上げの動きが労働組合のない企業にも広く波及していることがわかった。

しかし、毎月勤労統計調査(23年10月)によると、物価を加味した実質賃金は19カ月連続でマイナス状態が続いている。岸田文雄首相が言う「物価に負けない賃金」はいまだ道半ばだ。しかも大企業と中小企業の賃上げ率にも開きがある。そのため、賃上げに向けて政・労・使も積極的姿勢を見せている。政府は「成長と分配の好循環による新しい資本主義」を掲げ、成長の果実を従業員に分配する賃上げを経済界に要請しているが、賃上げを原動力としてさらなる成長を実現し、日本経済を成長軌道にのせようというのが狙いだ。

連合は今年の賃金引上げ目標を「5%以上」にすることを決定している。これに対して経団連の十倉雅和会長は23年10月25日の定例記者会見で、「昨今の物価上昇率を踏まえれば、労働運動として『5%以上』と表現を強めたこと自体は理解できる」とし、「来年は今年以上の熱量をもって働きかけたい。物価だけでなく、人材の確保・定着や、分厚い中間層の形成など重視すべき考慮要素を示しながら、各企業に対し、自社に適した方法での賃金引上げをお願いしたい」と述べるなど、労使も足並みを揃えている。

すでに経済同友会の新浪剛史代表幹事が社長を務めるサントリーホールディングスは、春闘で定期昇給分を含む7%の賃上げをめざすことを表明している。また、家電販売大手のビッグカメラは社員約4600人を対象に月2 〜3万円のベアを実施する方針であり、住友生命保険も営業職員約3万人を対象に平均7%以上の賃上げを行うことを決めている。

賃上げ率が3%を超えたのは1994年以来

● 平均賃金方式での賃上げ状況の推移(連合結成以降)

1989~2023 年のデータは、すべて6月末時点の最終集計結果
(出所)日本労働組合総連合会「2023 春季生活闘争まとめ」

中小企業は労務費増加分を価格転嫁できるか

ただし、企業の9割超を占める中小企業のさらなる賃上げを進めるには、原材料価格や労務費の高騰分の価格転嫁が求められている。日本商工会議所の調査(23年10月公表)によると、コスト全体の4割以上の価格転嫁ができた企業は55.3%、コスト増加分のうち労務費増加分を4割以上価格転嫁できた企業は34.7%にとどまっている。23年11月15日に開催された24年の春闘に向けた政府首脳と労使トップの意見交換会(政労使会議)でも価格転嫁が焦点になった。

連合の芳野友子会長は、賃上げに向けて価格転嫁が重要だと強調し、公正取引委員会が示した「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」の周知に向けて、中小企業の経営者にも知れ渡るよう、国・地方も総がかりで周知・相談活動に取り組むべきであると要望した。

この指針は、特別調査の結果を踏まえ、労務費の転嫁に係る価格交渉について事業者の発注者・受注者の双方がとるべき行動を12の行動指針としてとりまとめたものだ。それぞれに「労務費の適切な転嫁に向けた取組事例」や「留意すべき点」などを記載。行動指針に沿わないような行為をすることで、公正な競争を阻害するおそれがある場合には、独占禁止法および下請代金法に基づいて厳正に対処することも明記ししている。

経団連の十倉会長も、構造的な賃金引上げの実現には「中小企業における賃金引上げが不可欠」とし、「中小企業が提供する製品・サービスが市場で適正に評価され、付加価値に見合った対価が得られるよう、サプライチェーン全体を通じて、適正な価格転嫁は当然との認識を社会で共有すべき」との認識を示した。日本商工会議所の小林健会頭も価格転嫁の推進に当たっては「労務費を原材料費やエネルギー費用などと明示的に分けて交渉、転嫁できることを浸
透させることが肝要」と述べている。

こうした労使の意見交換を受けて岸田首相も「デフレ完全脱却の千載一遇のチャンスがめぐってきている」と指摘。そのため、中小企業が使いやすいように賃上げ税制を拡充するとともに、労務費の転嫁の強化を強く働きかけるなど、賃上げ努力を後押しすると強調した。

人材獲得への危機感で大卒初任給引き上げ競争

賃上げと並んで大卒初任給の高騰が続いている。製造業系の産業別労働組合の幹部は「3年ぐらい前までは大手企業を含めて初任給の水準はほぼ同じだった。しかし、22年春闘の頃から初任給を引き上げる企業が出始め、23年は一挙に2万円、3万円を引き上げるなど初任給競争が激化し、初任給インフレの様相を呈している」と呆れる。

昨年は電機メーカー大手やメガバンクをはじめ、あらゆる産業で初任給引き上げが相次ぎ、大卒初任給は一気に25万円が相場となりつつある。さらにゼネコンの鹿島は24年4月に入社する総合職の社員の大卒初任給を3万円引き上げ、28万円にすると公表している。初任給引き上げ競争の背景には人手不足と優秀人材の獲得への危機感がある。

4月1日から始まる法改正

賃上げに続き、4月1日からは法改正への対応が待っている。労働契約締結時における労働条件の明示事項の追加のほか、有期契約労働者の明示事項追加による無期転換ルールの見直し、そして裁量労働制に関する新たなルールも施行される。

また、時間外労働の上限規制の適用猶予事業・業務となっていた建設事業、自動車運転業務、医師についても4月1日から適用される。

労働条件明示の制度改正

労働条件の明示事項に新たにすべての労働者について「就業場所・業務の変更の範囲」が追加され、労働契約の締結と有期労働契約の更新のタイミングごとに「雇い入れ直後」の就業場所・業務の内容に加え、これらの「変更の範囲」についても明示することになっている。

無期転換ルールの改正では、①有期契約労働者の雇用の安定に向け、無期転換申込権が発生する契約更新時における申込機会および転換後の労働条件、更新上限の有無などの書面明示の義務付け、②更新上限を定める場合等の理由の説明などが盛り込まれている。「無期転換申込権」が発生する更新のタイミングごとに、無期転換を申し込むことができる旨(無期転換申込機会)の明示を行う(労働基準法施行規則5条の改正)。初めて無期転換申込権が発生する有期労働契約が満了した後も有期労働契約を更新する場合は、更新のたびに今回の改正による無期転換申込機会と無期転換後の労働条件の提示が必要になる。

労働契約の締結・更新時の明示事項が追加

● 労働条件明示の制度改正ポイント

(出所)厚生労働省「2024年4月から労働条件明示のルールが変わります(リーフレット)」

裁量労働制の制度改正

裁量労働制については、専門業務型裁量労働制(専門型)の本人同意の義務化や企画業務型裁量労働制(企画型)を含めて同意撤回の手続きが義務化されたほか、健康・福祉確保措置が指針で強化された。

今回新たにM&Aアドバイザー業務が専門型に追加された。裁量労働制は周知のようにあらかじめ労使協定(専門型。企画型は労使委員会)で定めた時間を労働したとみなす仕組みであり、労使協定を労働基準監督署に届け出、受理されて有効になる。専門型は新商品や新技術の研究開発、人文科学や自然科学の研究、情報処理システムの設計、新聞記者など19業務が指定されている。追加されたM&Aアドバイザー業務は「銀行又は証券会社における顧客の合併及び買収に関する調査又は分析及びこれに基づく合併及び買収に関する考案及び助言の業務」(告示案要綱)を専門型の対象とする。

M&Aアドバイザー業務を行う企業は多く、もっぱら売り手と買い手を仲介する業務に焦点があたるが、厚労省労働基準局労働条件政策課の担当者は「銀行・証券会社に限定し、顧客のM&Aに関する調査または分析、またはこれに基づく考案・助言を行う業務に携わる人であり、売り手と買い手の仲介する業務は含まれない」とする。

最大のポイントは、新たに専門型についても本人同意を必要とし、同意の撤回手続きが企画・専門型に盛り込まれたことだ。企画型は本人同意が決議事項となっていたが、専門型も労使協定事項となる。撤回後の配置や処遇については「あらかじめ協定や決議で定めておくことが望ましいことに留意する必要があることを指針で示す。同意撤回の際の取り扱いが明確になるように対応いただきたい」(労働条件政策課)としている。これにより労働者が自分がなぜ適用されるのかという趣旨を理解し、納得して働けるかという点では大きく改善される。また、同意しなくても不利益取り扱いを受けないこと、いったん同意しても撤回できる。

裁量労働制を導入している企業の中には「これまで当然ながら同意を撤回する社員はいなかったが、若年層の中には同意を撤回する社員も出てくるかもしれず、どれぐらい発生するのか管理職も気を揉んでいる」(広告業人事担当者)と、不安を露わにする。

このほか、秋までにフリーランスと発注事業者の間の「業務委託」に係る事業者間取引を規制する「フリーランス・事業者間取引適正化法」が施行される予定となっている。さらに取引適正化だけではなく、個人事業者等の過重労働、メンタルヘルスなどの対策強化の法改正に加えて、業種や職種を限定せず、保険料率0.3%で、フリーランス本人の全額負担による労災保険に「特別加入」できる制度も秋にスタートする。

一連の法改正への対応は喫緊の課題であり、すでに準備は進んでいると思われるが、対応策を改めて見直したい。

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溝上憲文

人事ジャーナリスト/1958年生まれ。明治大学政経学部を卒業後、新聞、ビジネス誌、人事専門誌などで経営、ビジネス、人事、雇用、賃金、年金問題を中心に執筆活動を展開。主な著書に「隣りの成果主義」(光文社)、「団塊難民」(廣済堂出版)、「『いらない社員』はこう決まる」(光文社)、「日本人事」(労務行政、取材・文)、「非情の常時リストラ」(文藝春秋)、「マタニティハラスメント」(宝島社)、「辞めたくても、辞められない!」(廣済堂出版)。近著に、「人事評価の裏ルール」(プレジデント社)。

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