近年、顧客や取引先、施設利用者等による暴言、脅迫、長時間にわたる拘束、過度な要求その他の著しい迷惑行為、いわゆる「カスタマーハラスメント」が大きな社会問題となっている。こうした行為は、従業員の人格や尊厳を傷つけ、精神的・身体的負担を生じさせるだけでなく、休職や離職の原因となるなど、労働者の就業環境に深刻な影響を及ぼすことがある。(文:田口涼太弁護士、編集:日本人材ニュース編集部)

カスタマーハラスメントの雇用管理上の措置義務の新設
このような状況を受け、令和7年6月11日に「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律等の一部を改正する法律」(令和7年法律第63号、以下「改正法」)が公布された。改正法により、2026年10月1日から、事業主に対してカスタマーハラスメント防止のための雇用管理上の措置を講ずることが義務付けられることとなった。
従来も、厚生労働省が公表する「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」等において、企業による自主的な取組が推奨されていたが、改正法により、カスタマーハラスメント対策は法令上の義務として位置付けられることとなった。
カスハラ指針の位置付け
また、厚生労働省は、改正法により新設された労働施策総合推進法第33条第4項に基づき、「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(以下「カスハラ指針」)を公表した。
カスハラ指針は、「職場におけるカスタマーハラスメント」の考え方を明らかにするとともに、事業主に求められる雇用管理上の措置の具体的内容が示されており、企業は同指針に沿った対応を進めることが求められる。これにより、事業主には、労働者が安心して働くことのできる就業環境を確保するため、組織的かつ実効的なカスタマーハラスメント対策を講ずることが求められることになる。
「職場におけるカスタマーハラスメント」の定義・判断基準・典型例
職場におけるカスタマーハラスメントの定義
改正法及びカスハラ指針によれば、「職場におけるカスタマーハラスメント」とは、顧客、取引の相手方、施設の利用者その他の当該事業主の行う事業に関係を有する者(以下「顧客等」という。)による言動であって、その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものにより、労働者の就業環境が害されることをいう。
ここでいう「顧客等」には、実際の顧客のみならず、今後商品の購入やサービスの利用等をする可能性がある潜在的な顧客、商談や取引交渉を行っている相手方、施設・サービス利用者の家族、近隣住民等も含まれる。また、店舗等における対面での言動に限られず、電話、電子メール、SNSその他インターネット上で行われる言動についても職場におけるカスタマーハラスメントの対象とされている。
もっとも、顧客等からの苦情や要望の全てがカスタマーハラスメントに該当するわけではない。カスハラ指針では、客観的にみて社会通念上許容される範囲で行われた苦情や申入れは、いわば「正当な申入れ」であり、カスタマーハラスメントには当たらないとされている。また、障害者から労働者に対して、障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律(平成25年法律第65号、以下「障害者差別解消法」)に基づく合理的配慮を求める意思表示自体はカスタマーハラスメントに該当せず、事業者には同法に基づく合理的配慮の提供義務が生じ得ることにも留意が必要である。
カスタマーハラスメントの判断基準
カスハラ指針では、職場において行われる①顧客等の言動であって、②その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの要素を全て満たすものを「職場におけるカスタマーハラスメント」としている。
また、「社会通念上許容される範囲を超えた言動」とは、社会通念に照らし、顧客等の言動の内容が契約内容からして相当性を欠くもの、又はその手段若しくは態様が相当でないものをいうとされている。
この判断に当たっては、当該言動の目的、当該言動を受けた労働者の問題行動の有無等を含む当該言動が行われた経緯や状況、業種・業態、業務の内容・性質、当該言動の態様・頻度・継続性、労働者の属性や心身の状況、当該言動の行為者との関係性等の様々な要素を総合的に考慮することが適当であるとされている。
さらに、「言動の内容」と「手段や態様」の双方に着目して総合的に判断すべきであり、いずれか一方のみが社会通念上許容される範囲を超える場合であっても、カスタマーハラスメントに該当し得ることを明示している。
加えて、社会通念上許容される範囲を超えるか否かの判断に当たっては、事業主又は労働者側の不適切な対応が当該言動の原因又は背景となっている場合があることにも留意が必要であるとされている。
カスタマーハラスメントの典型例
職場におけるカスタマーハラスメントの典型例としては、暴行、傷害、脅迫、名誉毀損、侮辱、人格を否定する言動、土下座の要求、長時間にわたる電話での拘束、継続的又は執拗な言動、威圧的な言動、労働者のプライバシーに係る情報をSNS等へ投稿する行為、不当又は過剰な商品交換若しくは金銭補償の要求等が挙げられる。
他方で、これらに該当する行為であっても、個別具体的な事情によっては直ちにカスタマーハラスメントに該当するとは限らず、また、障害者差別解消法に基づく合理的配慮の求めや、商品・サービスの不備に関する相当な説明要求等は、当然にはカスタマーハラスメントに該当するものではない点にも留意が必要である。
事業主が講じるべき雇用管理上の措置義務の具体的内容
雇用管理上の措置義務の概要
改正法及びカスハラ指針は、事業主に対し、職場におけるカスタマーハラスメントから労働者を保護し、その就業環境を確保するための雇用管理上の措置を講ずることを求めている。
これらの措置は、単に相談窓口を設置するといった個別の対応にとどまるものではなく、企業として明確な方針を示し、相談体制を整備するとともに、発生した事案に対して適切に対処し、再発防止につなげるための体制を構築することを求めるものである。
カスハラ指針では、事業主が講ずべき雇用管理上の措置として、①事業主の方針等の明確化及びその周知・啓発、②相談に応じ適切に対応するために必要な体制の整備、③職場におけるカスタマーハラスメントに係る事後の迅速かつ適切な対応、④職場におけるカスタマーハラスメントへの対応の実効性を確保するために必要な抑止措置、⑤相談者等のプライバシー保護及び不利益取扱いの禁止等の措置を定めている。
事業主の方針等の明確化及びその周知・啓発
第一に、事業主の方針等の明確化及びその周知・啓発である。
事業主は、職場におけるカスタマーハラスメントには毅然とした態度で対応し、労働者を保護する旨の方針を明確化し、職場におけるカスタマーハラスメントの内容及びあらかじめ定めた職場におけるカスタマーハラスメントへの対処の内容も含めて、管理監督者を含む労働者に周知・啓発することが求められている。
企業としては、就業規則やカスハラ対応方針等の整備に加え、社内報、イントラネット、研修等を活用して継続的に周知を行うことが重要となる。
相談に応じ適切に対応するために必要な体制の整備
第二に、相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備である。
事業主は、労働者からの相談に適切に対応するための窓口をあらかじめ定め、その内容を周知することが求められる。これと併せて、相談窓口の担当者が相談内容や状況に応じて適切に対応できるようにしておくことも求められている。
相談は実際に被害が発生した場合に限られず、被害を受けるおそれがある場合やカスタマーハラスメントに該当するか否か微妙な場合も含めて広く受け付けることが想定されている。そのため、企業としては、人事部門だけでなく現場管理職も含めた相談対応体制を整備し、相談しやすい環境を構築することが重要となる。
カスタマーハラスメントに係る事後の迅速かつ適切な対応
第三に、職場におけるカスタマーハラスメントに係る事後の迅速かつ適切な対応である。
事業主は、相談の申出があった場合には、当該事案に係る事実関係を迅速かつ正確に確認し、職場におけるカスタマーハラスメントが生じた事実が確認された場合には、被害を受けた労働者に対する配慮措置を講じるとともに、職場におけるカスタマーハラスメントに関する方針を改めて周知・啓発しつつ、再発防止策を講じることが求められる。
個別の事案を通じて商品・サービス・接客方法等に問題が発見された場合には、その改善を図ることが求められており、単に個別事案を処理して終わりではない。企業としては、発生した事案を記録・分析し、商品・サービスの改善や顧客対応の見直しに活用する仕組みを構築することが重要となる。
カスタマーハラスメントへの対応の実効性を確保するために必要な抑止措置
第四に、職場におけるカスタマーハラスメントへの対応の実効性を確保するための抑止措置である。
事業主は、労働者に対する過度な要求の反復など、特に悪質なカスタマーハラスメントへの対処方針をあらかじめ定め、管理監督者を含む労働者に周知するとともに、その方針に基づく対応を実施できる体制を整備しておくことが求められる。
カスハラ指針では、特に悪質な事案への対応例として、警察への通報、行為者への警告文の送付、法令上許容される範囲での商品・サービスの提供の拒否、店舗や施設への出入禁止措置、民事保全法に基づく仮処分命令の申立て等が示されている。企業としては、自社の業種・業態を踏まえ、どのような場合にどのような措置を講ずるのかをあらかじめ定めておくことが重要となる。
相談者等のプライバシー保護及び不利益取扱いの禁止等の措置
第五に、上記の措置と併せて講ずべき措置である。
事業主は、相談者及び事実関係の確認に協力した者のプライバシーを保護するために必要な措置を講じるとともに、カスタマーハラスメントの相談や調査協力等を理由とした不利益な取扱いを行わない旨を定め、労働者に周知することが求められる。
特に、相談者に関する情報には性的指向やジェンダーアイデンティティ等の機微な個人情報が含まれる場合があることにも留意が必要である。企業としては、相談対応マニュアルの整備や相談担当者への研修を行うとともに、就業規則等において相談を理由とする不利益取扱いの禁止を明記しておくことが望ましい。
最後に
2026年10月1日以降、企業はカスタマーハラスメント防止のための雇用管理上の措置を講ずることが法的に義務付けられる。これらの措置が適切に講じられていない場合には、行政による助言、指導又は勧告の対象となり得るほか、カスタマーハラスメントによって労働者の心身の健康が損なわれたにもかかわらず、事業主が必要な対応を講じていなかった場合には、安全配慮義務違反等を理由として法的責任が問題となる可能性もある。
また、今回の制度改正は、単に相談窓口の設置等を求めるものではなく、事業主に対し、カスタマーハラスメントを許容しないという方針の明確化、相談体制の整備、事案発生時の迅速な対応等を含めた組織的な対応を求めるものとなっている。企業においては、従来の苦情対応やクレーム対応の延長線上で捉えるのではなく、労働者の就業環境の保護という観点から人事労務管理上の課題として取り組むことが求められる。
そのため、各企業においては、2026年10月の施行までに、カスタマーハラスメントに関する基本方針の策定・周知、相談窓口及び相談対応体制の整備、対応マニュアルの作成、管理職及び従業員向け研修の実施、事案発生時の記録・報告体制の構築に加え、特に悪質な事案に対する対応方針の検討を進める必要がある。
また、商品・サービスや接客方法等に起因するトラブルの発生状況を分析し、顧客とのコミュニケーションの在り方を含めた業務改善や再発防止にも取り組むことが重要となる。
カスタマーハラスメント対策は、法令遵守の観点のみならず、従業員が安心して働くことのできる職場環境の整備、人材の確保・定着、企業価値の向上にもつながる重要な経営課題である。企業としては、カスハラ指針が求める体制整備を契機として、自社の顧客対応方針や組織体制を改めて点検し、実効性のあるカスタマーハラスメント対策を構築していくことが求められる。
田口涼太弁護士
長島・大野・常松法律事務所アソシエイト弁護士。人事・労務問題を主な取扱分野とし、労務コンプライアンス、労働審判、仮処分、労働訴訟その他の労働紛争対応を中心に取り扱う。
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